「主の日」について その5

新改訳聖書』第3版のヨハネの黙示録6章17節に、次のように書かれています。
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17節
御怒りの大いなる日が来たのだ。だれがそれに耐えられよう。」
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「御怒りの大いなる日・・・」とあります。

 

これは、ヨエル書2章31節(その4冒頭)の、「の大いなる恐るべき日・・・」のことではないでしょうか。

 

「御怒りの大いなる日が来た」(上記冒頭)という記述の前に、6章12節(その4中ほど)に、「・・・太陽は毛の荒布のように黒くなり、月の全面が血のようになった」、という記述があります。

 

つまり、「御怒りの大いなる日が来」る前に、「太陽は毛の荒布のように黒くなり、月の全面が血のようになった」、と考えられます。

 

これは、ヨエル書2章31節(その4冒頭)の、「の大いなる恐るべき日が来る前に、太陽はやみとなり、月は血に変わる」、という記述と一致します。

 

このように、ヨハネの黙示録6章12節と17節の関係が、ヨエル書2章31節(その4冒頭)の記述と一致するということから、この二つの書に書かれていることは、同じときのことではないか、という考えが浮かびます。

 

また、ヨエル書2章11節に、次のように書かれています。
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11節
  は、ご自身の軍勢の先頭に立って
  声をあげられる。
  その隊の数は非常に多く、
  主の命令を行う者は力強い。
  の日は偉大で、非常に恐ろしい。
  だれがこの日に耐えられよう。
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下から2行目に、「の日は偉大で、非常に恐ろしい。」とあります。

 

ヨエル書2章31節(その4冒頭)に、「の大いなる恐るべき日・・・」とあります。

 

「偉大で」が「大いなる」に当たり、「恐ろしい」が「恐るべき」に当たる、と言うことができると思います。

 

そうだとすると、「の大いなる恐るべき日」(31節)というのは、「の日」(11節)のこと、と言うことができます。

 

その6、に続きます。