「主の日」について その11

新改訳聖書』第3版のヨエル書1章16節に、次のように書かれています。
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16節
  私たちの目の前で食物が断たれたではないか。
  私たちの神の宮から
  喜びも楽しみも消え失せたではないか。
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1行目に、「私たちの目の前で食物が断たれた・・・」とあります。

 

これは、1章7節に書かれていること、及び11節と12節に書かれていることがあったからではないでしょうか。

 

ヨエル書1章7節は、次のようになっています。
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7節
  それはわたしのぶどうの木を荒れすたれさせ、
  わたしのいちじくの木を引き裂き、
  これをまる裸に引きむいて投げ倒し、
  その枝々を白くした。
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1行目の、「それ」というのは、「一つの国民」(6節、その7後半)のこと、「力強く、数えきれない国民」(同)のこと、と言うことができると思います。

 

その「一つの国民」(6節、その7後半)が、「わたしのぶどうの木を荒れすたれさせ、わたしのいちじくの木を引き裂き、これをまる裸に引きむいて投げ倒し、その枝々を白くした」ので、「食物が断たれた」(16節、上記冒頭)のではないでしょうか。

 

また、ヨエル書1章11節と12節は、次のようになっています。
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11節
  農夫たちよ。恥を見よ。
  ぶどう作りたちよ。泣きわめけ。
  小麦と大麦のために。
  畑の刈り入れがなくなったからだ。
12節
  ぶどうの木は枯れ、いちじくの木はしおれ、
  ざくろ、なつめやし、りんご、
  あらゆる野の木々は枯れた。
  人の子らから喜びが消えうせた。
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「畑の刈り入れがなくなった」(11節最後の行)ので、また、「ぶどうの木は枯れ、いちじくの木はしおれ、ざくろ、なつめやし、りんご、あらゆる野の木々は枯れた」(12節)ので、「食物が断たれた」(16節、上記冒頭)のではないでしょうか。

 

「・・・枯れ、・・・しおれ、・・・枯れた。」という言葉から、水が無いのではないか、と思われます。

 

水が無いとすると、それは、雨が降らないからではないでしょうか。

 

その12、に続きます。