『新改訳聖書』第3版のヨシュア記1章7節と8節に、次のように書かれています。
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7節
ただ強く、雄々しくあって、わたしのしもべモーセがあなたに命じたすべての律法を守り行え。これを離れて右にも左にもそれてはならない。それは、あなたが行(い)く所ではどこででも、あなたが栄えるためである。
8節
この律法の書を、あなたの口から離さず、昼も夜もそれを口ずさまなければならない。そのうちにしるされているすべてのことを守り行うためである。そうすれば、あなたのすることで繁栄し、また栄えることができるからである。
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ヨシュア記1章1節に、「さて、主のしもべモーセが死んで後(のち)、主はモーセの従者、ヌンの子ヨシュアに告げて仰せられた。」とあります。
そして1章2節の最初に、上(うえ)カギかっこがあります。
その相手の、下(した)カギかっこは、1章9節にあります。
つまり、1章2節から9節までは、主がヌンの子ヨシュアに告げて仰せられたことばである、ということです。
7節1行目から、「・・・わたしのしもべモーセがあなたに命じたすべての律法を守り行え。これを離れて右にも左にもそれてはならない。・・・」とあり、8節1行目から、「この律法の書を、あなたの口から離さず、昼も夜もそれを口ずさまなければならない。・・・」とあります。
ヨシュア記1章2節から9節までに書かれていることは、主が仰せられたことばですから、7節、および8節に書かれていることも、主が仰せられたことばの一部です。
そうすると、「わたし」(7節)というのは、「主」のこと、ということになります。
7節1行目の「・・・わたし・・・」は「主」を指している、と言うことができます。
ところで、「律法」について その1(2021-10-02)、の下から3段落目と2段落目で、わたしは、次のように述べました。
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そのような命令やおきては、たくさんあります。
そのため、これら『すべてのこと』を「堅く守って、実行」する、というのは不可能なことのように思えます。
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また、「律法」について その2(2021-10-12)、の上から4段落目で、
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律法の書に書かれている『すべてのこと』を「堅く守って、実行しなければ、だれでもみな、のろわれる」から「のろいのもとにある」、ということだと思いますが、その『すべてのこと』を「堅く守って、実行する」ことは、不可能なことのように思えます。
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と述べました。
ヨシュア記1章8節に、「この律法の書を、あなたの口から離さず、昼も夜もそれを口ずさまなければならない。そのうちにしるされているすべてのことを守り行うためである。・・・」とあります。
ここには、「その(すなわち、律法の書の)うちにしるされている『すべてのこと』を守り行うため」には、「この律法の書を、あなたの口から離さず、昼も夜もそれを口ずさまなければならない」、ということが書かれています。
「この律法の書を、あなたの口から離さず、昼も夜もそれを口ずさ」むならば、「『すべてのこと』を守り行う」ことができる、ということだと思います。