「肉」について その1

新改訳聖書』第3版のローマ人への手紙8章8節に、次のように書かれています。
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8節
肉にある者は神を喜ばせることができません。
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なぜ、喜ばせることができないのでしょうか。

 

その理由と思われることが、同章7節に書かれています。次のようになっています。
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7節
というのは、肉の思いは神に対して反抗するものだからです。それは神の律法に服従しません。いや、服従できないのです。
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1行目から、「・・・肉の思いは神に対して反抗するものだからです。・・・」とあります。

 

「肉の思いは神に対して反抗するものだから」、「肉にある者は神を喜ばせることができ」ない、と考えることができるのではないでしょうか。

 

7節の、「というのは、肉の思いは神に対して反抗するものだからです」、については、直接的には、8章6節に書かれていることについての理由である、と言うことができると思います。

 

「肉の思いは神に対して反抗するものだから」、「肉にある者は神を喜ばせることができ」ない、という文脈ではありません。

 

ローマ人への手紙8章6節から8節までは、次のようになっています。
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6節
肉の思いは死であり、御霊(みたま)による思いは、いのちと平安です。
7節
というのは、肉の思いは神に対して反抗するものだからです。それは神の律法に服従しません。いや、服従できないのです。
8節
肉にある者は神を喜ばせることができません。
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「肉の思いは神に対して反抗するものだから」(7節)、「肉の思いは死であり、御霊(みたま)による思いは、いのちと平安です。」(6節)、という文脈になると思います。

 

このうち、「御霊(みたま)による思い」のほうを考えると、「肉の思いは神に対して反抗するものだから」(7節)、「御霊(みたま)による思いは、いのちと平安です」(6節)、となります。

 

少し不自然な感じがします。ですが、分からない、ということはありません。

 

「肉の思い」と「御霊(みたま)による思い」とを分けて考えたために、少し不自然な感じになったのではないかと思われます。

 

ただ、「肉の思いは神に対して反抗するものだから」(7節)、「肉の思いは死で・・・す」(6節)、と考えたほうが分かりやすいと思います。

 

しかしその場合でも、その内容は、よく考えないと、理解するのは簡単ではないように思います。

 

なぜ「肉にある者は神を喜ばせることができません」、ということになるのか、ですが、それは、次のように言うことができるのではないかと思います。

 

「肉の思いは神に対して反抗するものだから」(7節上記)、「肉の思いは死であり、御霊(みたま)による思いは、いのちと平安です」(6節)、だから、「肉にある者は神を喜ばせることができません」(8節)、というように言うことができると思います。

 

いかがでしょうか。どのように思われますか。