「主の日」について その3

新改訳聖書』第3版のヨハネの黙示録6章15節(その1、後半)の記述は、イザヤ書2章10節と19節と21節(いずれも、その1)の記述と似ています。

 

このことから、これらの二つの書に書かれていることは、同じときのことではないか、という考えが浮かびます。

 

ヨハネの黙示録6章15節(その1、後半)に書かれていることは、同章17節の、「御怒りの大いなる日」のことである、と言うことができると思います。

 

ゼパニヤ書1章14節から16節までに、次のように書かれています。
***
14節
  の大いなる日は近い。
  それは近く、非常に早く来る。
  聞け。の日を。勇士も激しく叫ぶ。
15節
  その日は激しい怒りの日、
  苦難と苦悩の日、荒廃と滅亡の日、
  やみと暗黒の日、雲と暗やみの日、
16節
  角笛とときの声の日、
  城壁のある町々と高い四隅の塔が襲われる日だ。
***

 

15節1行目に、「その日は激しい怒りの日、」とあります。

 

「その日」というのは、14節最後の行の、「・・・の日・・・」のこと、と言うことができます。

 

15節1行目の、「その日」というのが「の日」のことであるとすると、「の日」は『激しい怒りの日』である、ということになります。

 

また、14節1行目に、「の『大いなる日』は近い。」とあります。

 

その「の『大いなる日』」というのは、「の日」のことと考えられます。

 

これらのことから、ヨハネの黙示録6章17節(その1、後半)の、『御怒りの大いなる日』というのは、ゼパニヤ書1章14節(上記)の「の『大いなる日』」のことではないか、と思われます。

 

またそれは、『の日』(ゼパニヤ1:14)のことであり、『激しい怒りの日』(ゼパニヤ1:15)である、と思われます。

 

イザヤ書2章10節と19節と21節(いずれも、その1)に書かれていることは、「万軍のの日」(イザヤ2:12、その2冒頭)のことである、と言うことができると思いますが、それはまた、ヨハネの黙示録6章15節から17節までに書かれていることと同じときのこと、及び、ゼパニヤ書1章14節から16節までに書かれていることと同じときのこと、すなわち、『の日』のことではないか、と思いますが、いかがでしょうか。

 

どのように思われますか。