「よみ」について その17

エスを信じる信仰を持つ者は、御霊(みたま)または聖霊与えられることによって、「肉にある者」(ローマ8:8)でなくなる、と言うことができると思います。

 

ローマ人への手紙8章9節に、次のように書かれています。
***
9節
けれども、もし神の御霊(みたま)があなたがたのうちに住んでおられるなら、あなたがたは肉の中にではなく、御霊(みたま)の中にいるのです。キリストの御霊(みたま)を持たない人は、キリストのものではありません。
***

 

1行目から、「・・・もし神の御霊(みたま)があなたがたのうちに住んでおられるなら、あなたがたは肉の中にではなく、御霊(みたま)の中にいるのです。・・・」とあります。

 

この中の「あなたがたは肉の中にではなく、御霊(みたま)の中にいるのです。」というのは、「あなたがたは肉の中に『いるの』ではなく、御霊(みたま)の中にいるのです。」ということである、と言うことができると思います。

 

「あなたがた」は『肉の中』にいるのではない、ということが言われています。

 

「もし神の御霊(みたま)があなたがたのうちに住んでおられるなら」(上記8章9節)、です。

 

『肉の中』にいるのではない、ということは、「肉にある者」(ローマ8:8)ではない、ということを意味すると思います。

 

エスを信じる信仰を持つ人には、神の御霊(みたま)が住むようになるので、その人は「肉にある者」(ローマ8:8)ではなくなる、と言うことができると思います。

 

これに対してアブラハムの場合は、そのように言うことはできない、ということになります。

 

なぜならアブラハムの時代に、キリストであるイエスはまだ来られていなかったからです。

 

したがってアブラハムの場合は、「『肉による』私たちの父祖アブラハム」、ということになるのだと思います。

 

「『肉による』私たちの父祖アブラハム」という言葉から、アブラハムは、「肉にある者」(ローマ8:8)であったと考えられるのです。

 

アブラハムは「肉にある者」(ローマ8:8)であった、ということからすると、アブラハムも何らかの罪を犯したのではないか、と思われます。

 

聖書では、「すべての人は、罪を犯した」(ローマ3:23)、と言われているからです。

 

ですから、アブラハムも何らかの罪を犯したのではないかと考えられるのです。

 

そうすると、アブラハムは「罪を犯した者」(ヨブ24:19、その15前半)であるので、よみ(シェオル)に行(ゆ)く、ということになるのでしょうか。

 

その18、に続きます。