「御霊(みたま)」について その3

わたしは、「その2」の後半で、
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『肉にある者』でなくなるなら、「死」から解放されると考えられます。
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と述べました。下から6段落目です。

 

新改訳聖書』第3版のローマ人への手紙8章1節と2節に、次のように書かれています。
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1節
こういうわけで、今は、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。
2節
なぜなら、キリスト・イエスに*ある、いのちの御霊(みたま)の原理が、罪と死の原理から、**あなたを解放したからです。

 

* 別訳「あって」
** 異本「私」

 

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「キリスト・イエスに*ある(別訳、あって)、いのちの御霊(みたま)の原理が、罪と死の原理から、**あなた(異本、私)を解放したから」(2節)、「今は、キリスト・イエスある者が罪に定められることは決してありません。」(1節)という文脈になります。

 

2節1行目から、「・・・いのちの御霊(みたま)の原理が、罪と死の原理から、あなたを解放した・・・」とあります。

 

「いのちの御霊(みたま)」が与えられるなら、人は、『肉にある者』でなくなることができる、と言うことができると思います。

 

『肉にある者』でなくなるなら、「死」から解放される、と言うことができるのではないでしょうか。「御霊(みたま)」は、『いのち』の御霊(みたま)、だからです。

 

「御霊(みたま)」が与えられるなら、人は、「死」から『いのち』に入れられる、ということだと思います。

 

それは、『よみがえり』または『復活』を思わせます。

 

同じ手紙の6章17節と18節に、次のように書かれています。
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17節
神に感謝すべきことには、あなたがたは、もとは罪の奴隷でしたが、伝えられた教えの規準に心から服従し、
18節
罪から解放されて、義の奴隷となったのです。
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「あなたがたは、もとは罪の奴隷でしたが」(17節)、「罪から解放され・・・たのです。」(18節)とあります。

 

「罪から来る報酬は死です」(ローマ6:23、「肉」について その5⦅2022-01-29⦆)という言葉からすると、「罪から解放され」るなら、「死」からも解放される、と言うことができるのではないでしょうか。

 

6章17節(上記)1行目から、「・・・あなたがたは、もとは罪の奴隷でした・・・」とあります。

 

罪の奴隷だったときは、「罪と死の原理」(8章2節、上記)が働いていた、と言うことができるのではないでしょうか。

 

そして、「罪の奴隷」だったのは、『肉にある者』だったからではないでしょうか。

 

上記8章2節に、「・・・いのちの御霊(みたま)の原理が、・・・あなたを解放した・・・」とあり、上記6章17節と18節に、「・・・あなたがたは・・・罪から解放され・・・たのです」、とあります。

 

「御霊(みたま)の中にいる」(ローマ8:9、その1冒頭)人は、「罪から解放され」(同6:18、上記)、その結果、「死」からも解放され、その人には、「いのちの御霊(みたま)の原理」(ローマ8:2、上記前半)が働くので、すなわち、「キリスト・イエスを死者の中からよみがえらせた方は、あなたがたのうちに住んでおられる御霊(みたま)*によって(異本、のゆえに)、あなたがたの死ぬべきからだをも生かしてくださる」(ローマ8:11)ので、「ただ神に感謝します」(ローマ7:25、その2冒頭)、ということになるのだと思います。

 

いかがでしょうか。