「罪」について その12

新改訳聖書』第3版のローマ人への手紙6章11節(その11、冒頭)1行目から、「・・・あなたがたも、自分は罪に対しては死んだ者・・・だと、思いなさい。」と書かれています。

 

「『罪に対して』は死んだ」、とあります。

 

これに対して、エペソ人への手紙2章1節(その8、前半)の、「・・・自分の罪過と罪との中に死んでいた・・・」という場合の「死んでいた」は、「『神に対して』死んでいた」ということであると思います。

 

それと同じように、アダムが善悪の知識の木から取って食べてから以降は、すなわち、罪を犯してから以降は、アダムは『死んでいた』、と言うことができると思います。

 

『神に対して死んでいた』、ということです。「その10」などをご参照ください。

 

「罪によって死が入り込んだ」(「新共同訳」ローマ5:12、その7前半)ために『神に対して死んでいた』、と言うことができると思います。

 

「罪によって死が入り込んだ」(「新共同訳」ローマ5:12、その7前半)ために、善悪の知識の木から取って食べてから以降は、『神に対して死んでいた』、ということです。

 

ローマの信徒への手紙5章12節(「新共同訳」、その7前半)に、「・・・一人の人によって罪が世に入り、・・・」とあります。

 

「一人の人」、すなわち「アダム」によって罪が『世に』入った、と考えられます。

 

新改訳聖書』第3版のヨハネ福音書1章29節に、次のように書かれています。
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29節
その翌日、ヨハネは自分のほうにイエスが来られるのを見て言った。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊。
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2行目に、「・・・見よ、世の罪を取り除く神の小羊。」とあります。

 

「『世の罪』を取り除く神の小羊」、とあります。

 

「一人の人(すなわち、アダム)によって罪が世に入」(「新共同訳」ローマ5:12、その7前半)ったと言える、と思いますが、世に入ったその罪を、「神の小羊」である「イエスが取り除く、ということだと思います。