「罪」について その9

アダムが罪を犯したことによって、「罪が世に入」(「新共同訳」ローマ5:12、その7前半)った、と言うことができると思います。

 

アダムは世にいたので、罪の中にいた、ということになります。罪が世にあったからです。

 

新改訳聖書』第3版のローマ人への手紙5章13節に、次のように書かれています。
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13節
というのは、律法が与えられるまでの時期にも罪は世にあったからです。しかし罪は、何かの律法がなければ、認められないものです。
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1行目から、「というのは、律法が与えられるまでの時期にも罪は世にあったからです。・・・」とあります。

 

『罪は世にあった』とあります。

 

『罪は世にあった』ので、アダムは罪の中にあった、と言うことができると思います。つまり、罪が世にあり、アダムは世にいたので、アダムは世にある罪の中にあった、ということです。

 

エペソ人への手紙2章1節(その3⦅2021-10-28⦆冒頭、及び、その8前半)から2節にかけて、「(1節)あなたがたは自分の罪過と罪との中に死んでいた者であって、(2節)そのころは、それらの『罪の中にあって』この世の流れに従い、・・・」とあります。

 

「それらの『罪の中にあって』」というのは、アダムが、世にある『罪の中にあった』、ということと同じようなことでしょうか。

 

エペソ人への手紙2章2節の『罪の中にあって』というのは、どのようなことであると考えられるでしょうか。

 

一つの考え方としては、上で述べたように、罪が世にあり、「あなたがた」は世にいるので、「あなたがた」は、世にある『罪の中にあって』、ということであると考えられます。

 

このように考えた場合は、「アダムは世にいたので、罪の中にいた」というのと同じになります。『罪は世にあった』(ローマ5:13、上記)からです。

 

つまり、アダムが世にある『罪の中にあった』のと同じように、「あなたがた」も世にある『罪の中にあった』ということです。

 

「一人の人(すなわち、アダム)によって罪が世に入」(「新共同訳」ローマ5:12、その7前半)ったからです。

 

この場合は、「あなたがた(は)が自分の罪過と罪との中に死んでいた」のと同じように、アダムも、世にある「罪の中で死んでいた」、と考えられます。

 

その10、に続きます。