「罪」について その7

新改訳聖書』第3版のローマ人への手紙5章12節に、次のように書かれています。
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12節
そういうわけで、ちょうどひとりの人によって罪が世界に入り、罪によって死が入り、こうして死が全人類に広がったのと同様に、―それというのも全人類が罪を犯したからです。
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この、『新改訳聖書』第3版の訳文は、日本語の文として成立していない、と言うことができると思います。

 

そのため、理解するのが難しいものとなっていると思います。

 

それに対して、『新共同訳聖書』の訳文は、日本語の文として成立しています。

 

そこで、『新共同訳聖書』から引用します。

 

『新共同訳聖書』のローマの信徒への手紙5章12節に、次のように書かれています。
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12節
このようなわけで、一人の人によって罪が世に入り、罪によって死が入り込んだように、すべての人に死が及んだのです。すべての人が罪を犯したからです。
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1行目に、「・・・一人の人・・・」とあります。これは、同じ手紙の5章14節から19節までの記述を読むと分かるのではないかと思いますが、「アダム」のことである、と言うことができると思います。

 

12節1行目に、「・・・一人の人によって罪が世に入り、・・・」とあります。

 

「一人の人」が「アダム」だとすると、「・・・アダムによって罪が世に入り、・・・」となります。

 

「罪」というのは、「食べてはならない」(創世記2章17節、その5冒頭)と言われていた善悪の知識の木の実を、アダムが「食べた」(同3章6節、その5前半)こと、と言うことができると思います。

 

アダムがそのようなことをしたことによって、「罪が世に入」った、ということだと思います。

 

また、ローマの信徒への手紙5章12節(上記)1行目から、「・・・罪によって死が入り込んだ・・・」と書かれています。

 

アダムは、「食べてはならない」(創世記2章17節、その5冒頭)と言われていた善悪の知識の木の実を「食べた」(同3章6節、その5前半)ことによって、罪を犯した、と言うことができると思います。

 

創世記2章17節(その5、冒頭)に、「・・・それを取って食べるとき、あなたは必ず死ぬ。」と書かれています。

 

つまり、「それを取って食べ」たとき、『死が入り込んだ』(ローマ5:12)のではないでしょうか。

 

創世記2章17節(その5、冒頭)の記述からすると、アダムはその実を「食べた」ときに『死んだ』、と言うことができます。

 

「食べた」ときは罪を犯したときであり、その罪によって『死んだ』、つまり、『死が入り込んだ』、ということではないでしょうか。

 

どのように思われますか。