「罪」について その5

新改訳聖書』第3版の創世記2章16節と17節に、次のように書かれています。
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16節
神であるは人に命じて仰せられた。「あなたは、園のどの木からでも思いのまま食べてよい。
17節
しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるとき、あなたは必ず死ぬ。」
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17節1行目に、「・・・善悪の知識の木からは取って食べてはならない。・・・」とあります。

 

そして創世記3章6節に、次のように書かれています。
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6節
そこで女が見ると、その木は、まことに食べるのに良く、目に慕わしく、賢くするというその木はいかにも好ましかった。それで女はその実を取って食べ、いっしょにいた夫にも与えたので、夫も食べた。
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「女」と「夫」はその木の実を「食べた」、ということが書かれています。

 

「食べてはならない」(2章17節、上記)と言われていたのに、「食べた」のですから、「女」と「夫」は神の命令に、あるいは、神のことばに「背いた」、と言うことができると思います。

 

ローマ人への手紙5章14節に、次のように書かれています。
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14節
ところが死は、アダムからモーセまでの間も、アダムの違反と同じようには罪を犯さなかった人々をさえ支配しました。アダムはきたるべき方の*ひな型です。

 

* 別訳「予表」

 

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1行目から、「ところが死は、アダムからモーセまでの間も、アダムの違反と同じようには罪を犯さなかった人々をさえ支配しました。・・・」とあります。

 

「アダムの違反と同じようには罪を犯さなかった人々」、とあります。

 

「アダムの違反」というのは、「食べてはならない」(創世記2章17節、上記)と言われていたのに、「食べた」(同3章6節、上記)こと、と言うことができると思います。

 

また、アダムはこの違反によって、罪を犯した、と言うことができると思います。

 

「アダムの違反と同じように・・・罪を犯」した、というのは、「食べてはならない」(創世記2章17節、上記)と言われていたのに「食べた」(同3章6節、上記)のと同じようなことをしたこと、つまり、それと同じように神のことばに背いたこと、と言うことができると思います。

 

これに対して、「アダムの違反と同じようには罪を犯さなかった」、というのは、罪は犯したが、「食べてはならない」(創世記2章17節、上記)と言われていたのに「食べた」(同3章6節、上記)、というのと同じようにではなかった、ということだと思います。

 

例えばアブラハムは、神が何々してはならないと言われたのにしてしまった、というようなことは無かったのではないかと思われますが、いかがでしょうか。

 

神が何々しなさいと言われたことに対しては、アブラハムは従順に従った、と言うことができると思います。

 

その6、に続きます。