「肉」について その5

新改訳聖書』第3版のローマ人への手紙6章23節に、次のように書かれています。
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23節
罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。
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1行目に、「罪から来る報酬は死です。・・・」とあります。

 

「盗み」「殺人」「姦淫」(マルコ7:21・22、その3冒頭)、および「偶像礼拝」(ガラテヤ5:20、その2後半)は「罪」である、と言うことができます。律法に違反するものだからです。

 

「罪から来る報酬は死です」という言葉から、「盗み」「殺人」「姦淫」、および「偶像礼拝」から来る報酬は死です、と言うことができると思います。それらは「罪」だからです。

 

言い換えると、「盗み」「殺人」「姦淫」、および「偶像礼拝」といった『肉の行い』から来る報酬は死です、になると思います。

 

マルコの福音書7章21節(その3冒頭)と22節(同)の、「悪い考え」「盗み」「殺人」「姦淫」「貪欲(どんよく)」「よこしま」「欺き」「ねたみ(直訳、悪い目)」「そしり」「高ぶり(あるいは、誇り)」「愚かさ」は、『人の心から出て来るもの』(21節)として言われています。

 

例えば、「姦淫」について考えてみます。

 

現実に姦淫が犯されると、それは「姦淫」であり、「姦淫の罪」である、ということができます。

 

マタイの福音書5章27節と28節に、次のように書かれています。
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27節
『姦淫してはならない』と言われたのを、あなたがたは聞いています。
28節
しかし、わたしはあなたがたに言います。だれでも情欲をいだいて女を見る者は、すでに心の中で姦淫を犯したのです。
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28節に、「・・・だれでも情欲をいだいて女を見る者は、すでに心の中で姦淫を犯したのです。」とあります。

 

『すでに心の中で姦淫を犯したのです』、とあります。

 

現実に姦淫が犯される前に、『心の中で』姦淫が犯されることについて書かれています。

 

「人の心から出て来る」(マルコ7:21)というのは、現実の姦淫は、『心の中』の姦淫から出て来る、ということではないでしょうか。

 

つまり「姦淫」は、『心の中』で姦淫のことを『考えた』結果としてあるのではないでしょうか。

 

同じことは、マルコの福音書7章21節(その3冒頭)と22節(同)の、「姦淫」以外の、「悪い考え」「盗み」「殺人」「貪欲(どんよく)」「よこしま」「欺き」「ねたみ(直訳、悪い目)」「そしり」「高ぶり(あるいは、誇り)」「愚かさ」についても言えると思います。

 

その6、に続きます。