「罪」について その3

新改訳聖書』第3版のエペソ人への手紙2章1節から3節までに、次のように書かれています。
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1節
あなたがたは自分の罪過と罪との中に死んでいた者であって、
2節
そのころは、それらの罪の中にあってこの世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者として今も不従順の子らの中に働いている霊に従って、歩んでいました。
3節
私たちもみな、かつては不従順の子らの中にあって、自分の肉の欲の中に生き、肉と心の望むままを行い、ほかの人たちと同じように、生まれながら御(み)怒りを受けるべき子らでした。
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1節に、「あなたがたは自分の罪過と罪との中に死んでいた者であって、」とあります。

 

「自分の罪過と罪との中に死んでいた」というのは、どのような意味であると考えられるでしょうか。

 

この『死んでいた』というのは、からだの機能が停止していたという意味での「死んでいた」ということではない、のは明らかです。

 

では、どういうことであると考えられるでしょうか。

 

ローマ人への手紙6章10節に、次のように書かれています。
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10節
なぜなら、キリストが死なれたのは、ただ一度罪に対して死なれたのであり、キリストが生きておられるのは、神に対して生きておられるのだからです。
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2行目から、「・・・キリストが生きておられるのは、神に対して生きておられるのだからです。」とあります。

 

『神に対して』生きておられる、とあります。

 

エペソ人への手紙2章1節(上記冒頭)の場合は、これとは逆であると考えられる、と思いますが、いかがでしょうか。

 

つまり、あなたがたは『死んでいた』、というのは、『神に対して』死んでいた、ということです。

 

その4、に続きます。