「律法」について その2

新改訳聖書』第3版のガラテヤ人への手紙3章9節と10節(その1⦅2021-10-02⦆、冒頭)には、次のようなことが書かれています。

 

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「信仰の人アブラハムとともに、祝福を受ける」(9節)のは、「信仰による人々」(同)である。なぜなら、「律法の行いによる人々はすべて、のろいのもとにあるから」(10節)である。
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ということです。

 

その3章10節(その1、冒頭)に、「・・・律法の行いによる人々はすべて、のろいのもとにある・・・」とあります。

 

律法の書に書かれている『すべてのこと』を「堅く守って、実行しなければ、だれでもみな、のろわれる」から「のろいのもとにある」、ということだと思いますが、その『すべてのこと』を「堅く守って、実行する」ことは、不可能なことのように思えます。

 

律法で命じられていることはたくさんあるので、だれでも、律法の、少なくとも、どれか一つには違反するのではないかと思われます。

 

そして、たとえ一つでも違反したら、罪を犯す、ということになり、「のろわれる」、ということになります。

 

律法の書に書かれている『すべてのこと』を「堅く守って、実行しな」かった、ことになるからです。

 

ローマ人への手紙3章23節と24節に、次のように書かれています。
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23節
すべての人は、罪を犯したので、*神からの栄誉を受けることができず、

 

* 別訳「神の栄光に達しない」

 

24節
ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価(あたい)なしに義と認められるのです。
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23節1行目に、「すべての人は、罪を犯した・・・」とあります。

 

これは、律法の書に書かれている『すべてのこと』を「堅く守って、実行」することは、不可能だからではないでしょうか。

 

ガラテヤ人への手紙3章22節には、次のように書かれています。
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22節
しかし聖書は、逆に、すべての人を罪の下(した)に閉じ込めました。それは約束が、イエス・キリストに対する信仰によって、信じる人々に与えられるためです。
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1行目から、「・・・聖書は、・・・すべての人を罪の下(した)に閉じ込めました。・・・」とあります。

 

聖書は、すべての人を罪の下(した)に閉じ込めたので、すべての人は罪を犯すことになる、ということではないかと思いますが、いかがでしょうか。