『新改訳聖書』第3版の詩篇28篇1節と2節に、次のように書かれています。
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1節
主よ。私はあなたに呼ばわります。
私の岩よ。どうか、私に耳を閉じないでください。
私に口をつぐまれて、
私が、穴に下る者と同じにされないように。
2節
私の願いの声を聞いてください。
私があなたに助けを叫び求めるとき。
私の手をあなたの聖所の奥に向けて上げるとき。
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2節1行目に、「私の願いの声を聞いてください。」とあります。
「私の願いの声」というのは、1節の、「・・・どうか、私に耳を閉じないでください。私に口をつぐまれて、私が、穴に下る者と同じにされないように。」のこと、と言うことができると思います。
また、同28篇3節と4節に、次のように書かれています。
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3節
どうか、悪者どもや不法を行う者どもと
いっしょに、私をかたづけないでください。
彼らは隣人(となりびと)と平和を語りながら、
その心には悪があるのです。
4節
彼らのすることと、彼らの行う悪にしたがって、
彼らに報いてください。
その手のしわざにしたがって彼らに報い、
その仕打ちに報復してください。
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3節の、「どうか、悪者どもや不法を行う者どもといっしょに、私をかたづけないでください。・・・」と、4節の、「彼らのすることと、彼らの行う悪にしたがって、彼らに報いてください。その手のしわざにしたがって彼らに報い、その仕打ちに報復してください。」も、「私の願いの声」である、と言うことができると思います。
詩篇28篇6節に、次のように書かれています。
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6節
ほむべきかな、主。
まことに主は私の願いの声を聞かれた。
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2行目に、「まことに主は私の願いの声を聞かれた。」とあります。
詩篇30篇3節(その3冒頭、2022-10-15)に、次のように書かれています。
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3節
主よ。あなたは私のたましいを*よみから引き上げ、私が穴に下って行(い)かないように、
私を生かしておかれました。
* →詩六・五*
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1行目から、「・・・あなたは私のたましいを*よみ(シェオル)から引き上げ、私が穴に下って行(い)かないように、私を生かしておかれました。」とあります。
この言葉から、「私」は「よみ(シェオル)」には下ったが、「穴」に下ることはなかった、と言うことができると思います。
「あなた」、すなわち「主」が「私のたましいをよみ(シェオル)から『引き上げ』」(30篇3節、上記)てくださったからです。
もし「私」が「穴」に下ったとすると、「穴に下る者と同じにされ」(28篇1節、上記冒頭)た、ということになるのではないでしょうか。
「私」が「穴」に下ることはなかった、というのは、28篇1節(上記冒頭)最後の行の、「私が、穴に下る者と同じにされないように。」という「私の願いの声を聞かれた」(28篇6節、上記)、ということではないでしょうか。主は、です。
「主は私の願いの声を聞かれた」(28篇6節、上記)、ということです。
さらに言いますと、主は「私の願いの声を聞かれ」、その願いをかなえてくださった、ということではないでしょうか。