『新改訳聖書』第3版の詩篇28篇1節と2節に、次のように書かれています。
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1節
主よ。私はあなたに呼ばわります。
私の岩よ。どうか、私に耳を閉じないでください。
私に口をつぐまれて、
私が、穴に下る者と同じにされないように。
2節
私の願いの声を聞いてください。
私があなたに助けを叫び求めるとき。
私の手をあなたの聖所の奥に向けて上げるとき。
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1節2行目からは、「私に口をつぐまれて、私が、穴に下る者と同じにされないように」、「私の岩よ。どうか、私に耳を閉じないでください。」と言い換えることができると思います。
この1節の記述からすると、もし主が「私に耳を閉じ」るなら、「私」は、「穴に下る者と同じにされ」る、ということになるのではないでしょうか。
もしも主が「私に耳を閉じ」るなら、主は、「私があなたに助けを叫び求めるとき」(2節)、「私の願いの声を聞いてくださ」(同)らない、ということになると思います。
そうすると、「私があなたに助けを叫び求めるとき」(2節)、主は「私」を助けてくださらない、つまり、「私」は「救われない」、ということになると思います。
「穴に下る者」というのは、「救われない者」のことではないかと思われますが、いかがでしょうか。
続いて、詩篇28篇3節と4節に、次のように書かれています。
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3節
どうか、悪者どもや不法を行う者どもと
いっしょに、私をかたづけないでください。
彼らは隣人(となりびと)と平和を語りながら、
その心には悪があるのです。
4節
彼らのすることと、彼らの行う悪にしたがって、
彼らに報いてください。
その手のしわざにしたがって彼らに報い、
その仕打ちに報復してください。
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3節に、「どうか、悪者どもや不法を行う者どもといっしょに、私をかたづけないでください。彼らは隣人(となりびと)と平和を語りながら、その心には悪があるのです。」とあります。
「私」は、「隣人(となりびと)と平和を語りながら、その心には悪がある」(3節)というような者ではない、と言うことができるかと思います。
また、「彼らのすること」(4節)をするような者でもなく、「彼らの行う悪」(同)を行うような者でもない、と言うことができると思います。
もし「私」がそのような者だとすると、「悪者どもや不法を行う者ども」と同じ「報い」を受ける、ということになると思います。
「悪者どもや不法を行う者どもといっしょに、私をかたづけ」(3節)る、というのは、そのようなことであると思われます。
つまり、「悪者どもや不法を行う者どもといっしょに、私をかたづけ」(3節)る、というのは、「私」は「悪者どもや不法を行う者ども」と同じ「報い」を受けるようになる、ということです。
しかし、「私」はそのような者ではないので、「悪者どもや不法を行う者どもといっしょに、私をかたづけないでください」、と主に願っているのだと思います。
「私」は、「悪者どもや不法を行う者どもといっしょに、私をかたづけないでください」(3節)、と主に願っています。
「私」がこのように主に願っているのは、どうしてであると考えられるでしょうか。
その7、に続きます。