「穴」について その4

新改訳聖書』第3版のエゼキエル書32章21節から23節までに、次のように書かれています。
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21節
勇敢な勇士たちは、その国を助けた者たちとともに、よみの中から語りかける。『降りて来て、剣で刺し殺された者、割礼を受けていない者たちとともに横たわれ』と。
22節
その墓の回りには、アッシリヤとその全集団がいる。みな、刺し殺された者、剣に倒れた者たちである。
23節
彼らの墓は穴の奥のほうにあり、その集団はその墓の回りにいる。彼らはみな、刺し殺された者、剣に倒れた者、かつて生ける者の地で恐怖を巻き起こした者たちである。
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23節1行目から、「彼らの墓は穴の奥のほうにあ・・・る。・・・」とあります。

 

わたしは以前、「よみ」について その2の2(2021-04-12)の3段落目で、次のように述べました。
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「彼らの墓」が「勇敢な勇士たち」の墓であるとすると、『よみ』の中には「穴」がある、ということになります。
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また、5段落目の、『「勇敢な勇士たち」は・・・』で始まる段落で、
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「勇敢な勇士たち」は『よみ』の中にいて、その墓が「穴の奥のほうに」ある、とすると、『よみ』の中には「穴」がある、ということになります。
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と述べました。

 

このとき、「・・・『よみ』の中には「穴」がある・・・」と述べました。

 

何度か読むうちに、『よみそのもの』が「穴」なのではないか、という考えが浮かぶようになりました。

 

よみそのものが『穴』である、と読むこともできると思います。

 

仮によみそのものが『穴』であるとすると、「穴の奥のほうにある」(23節、上記冒頭)は、「『よみ』の奥のほうにある」、となります。

 

そのように読むことはできると思います。

 

ただ、詩篇30篇3節(その3冒頭)の記述からすると、『よみ』と『穴』は別のものである、と考えられるのです。

 

エゼキエル書の場合は、『穴』は『よみの一部』であると思われます。

 

詩篇の場合も、そのように、すなわち、『穴』は『よみの一部』である、と考えることはできると思います。

 

しかし詩篇の場合は、『よみに下る』ということと、『穴に下る』ということは、同じことではない、と言うことができるのです。「その1」をご参照ください。

 

詩篇30篇3節の『穴』と、エゼキエル書32章23節の『穴』が同じものなのかどうか、また、『よみそのもの』が「穴」なのかどうか、などについて考察を続けます。