「天の御国」について その3

新改訳聖書』第3版のマタイの福音書13章24節(その1⦅2021-01-21⦆冒頭)に、次のように書かれています。
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24節

エスは、また別のたとえを彼らに示して言われた。
 「天の御国は、こういう人にたとえることができま

 す。ある人が自分の畑に良い種を蒔いた。

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3行目に、「・・・ある人が自分の畑に良い種を蒔いた。」とあります。

 

マタイの福音書13章37節と38節に、次のように書かれています。
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37節
エスは答えてこう言われた。「良い種を蒔く者は人の子です。
38節
畑はこの世界のことで、良い種とは御国の子どもたち、毒麦とは悪い者の子どもたちのことです。
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38節1行目から、「・・・良い種とは御国の子どもたち・・・のことです。」とあります。

 

そうすると、「良い種を蒔いた」(上記冒頭24節)は、「『御国の子どもたち』を蒔いた」、となります。

 

また、38節1行目から、「畑はこの世界のことで・・・す。」とあります。

 

そうすると、「自分の畑に良い種を蒔いた」(上記冒頭24節)は、「自分の『この世界』に『御国の子どもたち』を蒔いた」、となります。

 

『この世界』が「天の御国」である、と言うことはできないと思います。

 

「『この世界』に『御国の子どもたち』を蒔いた」というのは、どのように理解したらよいでしょうか。

 

上記冒頭24節の「ある人」というのは、「人の子」のことです。上記37節をご参照ください。

 

そして、「人の子」というのは、「イエス」のことと言うことができると思います。

 

「人の子」については、『「人の子」について』をご参照ください。「その1」が、2023-02-08に投稿されています。「その9」(2023-02-16)まであります。

 

「『この世界』に『御国の子どもたち』を蒔いた」というのは、『この世界』の人々に「御国のことば」(マタイ13:19)が宣べ伝えられた、ということではないしょうか。

 

つまり、「御国のことば」を聞いて、それを受け入れた人々が、『御国の子どもたち』である、ということです。

 

「『この世界』に『御国の子どもたち』を蒔いた」というのは、「御国のことば」を聞いて、それを受け入れた『御国の子どもたち』が、『この世界』にいるようになった、ということではないしょうか。

 

その4、に続きます。