「天の御国」について その4

新改訳聖書』第3版のマタイの福音書13章3節と4節に、次のように書かれています。
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3節
エスは多くのことを、彼らにたとえで話して聞かされた。
  「種を蒔く人が種蒔きに出かけた。
4節
  蒔いているとき、道ばたに落ちた種があった。すると 

   鳥が来て食べてしまった。
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4節1行目に、「蒔いているとき、道ばたに落ちた種があった。・・・」とあります。

 

マタイの福音書13章18節と19節に、次のように書かれています。
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18節
ですから、種蒔きのたとえを聞きなさい。
19節
御国のことばを聞いても悟らないと、悪い者が来て、その人の心に蒔かれたものを奪って行(い)きます。道ばたに蒔かれるとは、このような人のことです。
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19節2行目から、「・・・道ばたに蒔かれるとは、このような人のことです。」とあります。

 

「このような人」というのは、前文の「御国のことばを聞いても悟らないと、悪い者が来て、その人の心に蒔かれたものを奪って行(い)きます」と言われている「その人」のこと、と言うことができます。

 

「御国のことばを『聞いても』・・・」という言葉から、「その人」は「御国のことばを聞い」た人であることが分かります。

 

また、19節1行目から、「・・・悪い者が来て、その人の心に蒔かれたものを奪って行(い)きます。」とあります。

 

「その人の心に蒔かれたもの」とは、何であると考えられるでしょうか。

 

『蒔かれた』とあるので、それは、『種』であると考えられます。

 

上記冒頭4節1行目から、「・・・すると鳥が来て食べてしまった。」とあります。

 

「鳥が来て食べてしまった」ものは、「道ばたに落ちた種」です。

 

つまり、「鳥が来て『道ばたに落ちた種』を食べてしまった」、ということです。

 

「鳥が来て食べてしまった」は、上記19節の、「・・・悪い者が来て、その人の心に蒔かれたものを奪って行(い)きます・・・」に当たる、と言うことができると思います。

 

そうすると、「食べてしまった」は「奪って行(い)」ったということである、となります。

 

「奪って行(い)」ったのは、「その人の心に蒔かれたもの」です。

 

「鳥が来て食べてしまった」ものは、「道ばたに落ちた種」です。

 

そして、「食べてしまった」は「奪って行(い)」ったに当たる、と言うことができると思います。

 

そうすると、「道ばたに落ちた種」は、「その人の心に蒔かれたもの」に当たる、と言うことができます。

 

また、「蒔いているとき、道ばたに落ちた」は、「御国のことばを聞いても悟らない」に当たる、のではないでしょうか。

 

「道ばたに落ちた」が「聞いても悟らない」に当たるとすると、「蒔いている」種というのは、「御国のことば」のことに当たる、と言うことができると思います。

 

「蒔いている」種が「御国のことば」であるとすると、「道ばたに落ちた」種というのも、「御国のことば」のことになります。

 

上記冒頭3節2行目の、「種を蒔く人が種蒔きに出かけた」の「種」というのは、「御国のことば」のことと考えられます。

 

そして、「御国のことば」を聞いて、それを受け入れた人々が『御国の子どもたち』ではないか、と思われます。

 

その5、に続きます。