「穴に下る者」について その3

新改訳聖書』第3版のイザヤ書14章12節(その1前半)の、「暁の子、明けの明星よ。どうしてあなたは天から落ちたのか。・・・」という言葉から、「暁の子、明けの明星」は「天から落ちた」ということが分かります。

 

「天から落ちた」という言葉から、ヨハネの黙示録12章9節(その2冒頭)の、「巨大な竜」が思い浮かびます。

 

まだ断定はできませんが、「天から落ちた」という言葉から、イザヤ書14章12節の「暁の子、明けの明星」というのは、「悪魔」のことではないか、あるいは「サタン」のことではないか、という考えが浮かびます。

 

仮にそうだとすると、「穴に下る者」(詩篇28篇1節、その1冒頭)の「一人」は「悪魔」または「サタン」である、ということになります。

 

イザヤ書14章12節(その1前半)の、「暁の子、明けの明星」は「穴の底に落とされる」(15節、その1中ほど)、のですが、これに対して、同じイザヤ書14章4節の「バビロンの王」については、「バビロンの王」は『よみ(シェオル)』に落とされると言うことはできますが、『穴』に落とされるということについては書かれていません。

 

詩篇30篇3節(「穴」について その3冒頭、2022-10-15)に、次のように書かれています。
***
3節
よ。あなたは私のたましいを*よみから引き上げ、
私が穴に下って行(い)かないように、
私を生かしておかれました。

 

* →詩六・五*

 

***

 

この場合の「私」も、『よみ(シェオル)』には下って行(い)くが、『穴』に下って行(い)くことはない、と言うことができると思います。

 

それは、イザヤ書14章4節の「バビロンの王」の場合と、ほぼ同じである、ということが言えると思います。

 

「バビロンの王」の場合も、『よみ(シェオル)』には落とされるが、『穴』に落とされることはないのではないかと思われるのです。

 

『穴に下る者』、例えば「暁の子、明けの明星」と、そうでないと思われる者、例えば、「バビロンの王」や詩篇30篇3節の「私」に、何か違いはあるのでしょうか。

 

どのように思われますか。