「四百三十年」について その6

「四百三十年」の「内訳」について考えます。

 

しかし、確かなことは分からない、ということがあるので、さまざまな「仮定」に基づいて考えることになります。

 

創世記26章34節で、エサウが、40歳になったときのことが語られています。そのすぐあとに、27章があります。そこで、この27章に書かれていることは、エサウが40歳のときのことである、と仮定します。そうすると、エサウヤコブ「ふたご」(創25:24)なので、27章に書かれていることは、ヤコブも40歳のときのことである、と言うことができます。

 

ヤコブエサウから逃げる(創27:43)ために、また、妻をめとるために、パダン・アラムのラバンのところに行(い)きました(創28:1-5)。これも、ヤコブが40歳のときのことである、と仮定します。

 

ヤコブはパダン・アラムに行って、20年間ラバンに仕えました(創31:38・41)。その20年間に、妻たちや子どもたちを得ました。その20年間の最後に生まれたのが、ヨセフです(創30:24)。

 

ヨセフが生まれてすぐに、ヤコブがカナンの地に帰るという話が出ます(創30:25・26)。そしてヤコブは、パダン・アラムを出て、カナンの地に出かけました(創31:17・18)。これらのことは、ヤコブが60歳のときのことである、と仮定します。40歳でパダン・アラムへ行(ゆ)き、20年間ラバンに仕えたので、40歳+20年=60歳で、60歳のときのこととします。

 

ヤコブは妻たちや子どもたちといっしょにパダン・アラムを出て、カナンの地にあるベテルに住み始めます(創35:1-6)。これも、ヤコブが60歳のときのことである、と仮定します。このとき、「子どもたち」すなわち「イスラエルの子ら」も、カナンの地に住み始めます。「イスラエルの子ら」がカナンの地にいた年数を数える場合の起点を、このときとします。つまり、ヤコブが60歳のときとします。

 

その7、に続きます。