「四百三十年」について その9

「四百三十年」のうち、残りの208年について、ですが、これは、ヨセフが死んでからモーセが生まれるまでの期間に当たります。

 

出エジプト記6章16節から20節までを読むと、モーセはアムラムの子で、アムラムはケハテの子で、ケハテはレビの子である、ということが分かります。レビはヨセフの兄です。

 

仮に、アムラムが100歳のときにモーセを生んだとすると、アムラムは、まるまる100年の間エジプトにいた、ということになります。アムラムはエジプトで生まれた、と言うことができるからです。残りの208年のうち、100年はこのようにして説明することができます。

 

残りの108年(208-100=108)は、ケハテが108歳のときにアムラムを生んだとすると説明できるのではないか、と思われるのですが、創世記46章6節から11節までを読むと、ケハテはヤコブといっしょにエジプトに来た、ということが分かります。つまりケハテはカナンの地で生まれているのです。

 

ケハテが何歳のときエジプトに来たのかは、書かれていないので、分かりません。そこで、仮に10歳のときだとすると、ケハテが118歳のときにアムラムを生んだとした場合に、残りの108年の説明がつくと思います。ケハテは108年の間エジプトにいた、ということになるからです。

 

ケハテが10歳のとき、という仮定は、もちろん変えることができます。9歳や8歳等とすることもできますし、あるいは11歳や12歳等とすることもできます。

 

また、アムラムが100歳のときにモーセを生んだ、や、ケハテが118歳のときにアムラムを生んだ、という仮定も、その数字を変えることができます。

 

アムラムが100歳のときにモーセを生んだ、や、ケハテが118歳のときにアムラムを生んだ、という仮定は、可能性が高いとは言えないかもしれませんが、可能性が無い、とは言えません。

 

可能性がある限り説明することは可能である、ということになると思います。以上のように考えるなら、神が『ヤコブ』と契約を結ばれてから、律法ができるまでの「四百三十年」の説明をすることができると思います。

 

どのように思われますか。

 

ひょっとしたら、気づかずに間違っているところがあるかもしれません。もし間違っているところが見つかった場合は、訂正して、再度、考えます。