エレミヤ書50章について その6

新改訳聖書』第3版のエレミヤ書50章4節と5節に、次のように書かれています。
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4節
その日、その時、―の御(み)告げ―
イスラエルの民もユダの民も共に来て、泣きながら歩み、その神、を、尋ね求める。
5節
彼らはシオンを求め、その道に顔を向けて、『来たれ。忘れられることのないとこしえの契約によって、に連なろう』と言う。
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エレミヤ書50章3節(その1及びその5冒頭)に、「・・・人間から家畜に至るまで逃げ去った・・・」、とあります。

 

「人間から家畜に至るまで逃げ去った」、とあって、上記冒頭の4節があります。

 

4節に、「その日、その時、・・・イスラエルの民もユダの民も共に来て、泣きながら歩み、その神、を、尋ね求める。」とあります。

 

3節からの文脈の中で考えると、バビロンから逃げ去った人々の中には、「イスラエルの民もユダの民も」いる、と考えられます。

 

3節からの文脈からすると、「イスラエルの民もユダの民も」(4節)バビロンから逃げ去った人々である、と考えられるのです。

 

「逃げ去った」あとに、「泣きながら歩み、その神、を、尋ね求める」、ということになると思います。

 

そして、「イスラエルの民もユダの民も共に来て、泣きながら歩み、その神、を、尋ね求め」て、「彼らはシオンを求め、その道に顔を向けて、『来たれ。忘れられることのないとこしえの契約によって、に連なろう』と言う」(5節)、ということになるのだと思います。

 

イスラエルの民もユダの民も・・・その神、を、尋ね求める」とあるので、彼らは「その神、」に立ち返るものと考えられます。

 

5節に、「彼らは・・・『来たれ。忘れられることのないとこしえの契約によって、に連なろう』と言う。」とあります。

 

「彼ら」というのは、4節の「イスラエルの民」と「ユダの民」のこと、と言うことができます。

 

「『・・・忘れられることのないとこしえの契約によって、に連なろう』と言う」とあるので、「彼ら」は「忘れられることのないとこしえの契約」を知っている、と言うことができます。

 

「忘れられることのないとこしえの契約」というのは、どのような契約のことであると考えられるでしょうか。

 

いわゆる「旧約」のことでしょうか、それとも、いわゆる「新約」のことでしょうか。

 

あるいは、そのどちらでもないものでしょうか。

 

その7、に続きます。