エレミヤ書50章について その1

新改訳聖書』第3版のエレミヤ書50章1節から3節までに、次のように書かれています。
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1節
預言者エレミヤを通して、バビロンについて、すなわちカルデヤ人の国について語られたみことば。
2節
   「諸国の民の間に告げ、旗を掲げて知らせよ。
  隠さずに言え。
  『バビロンは捕らえられた。
  ベルははずかしめられ、
  メロダクは砕かれた。
  その像ははずかしめられ、
  その偶像は砕かれた。』
3節
なぜなら、北から一つの国がここに攻め上り、この地を荒れ果てさせたからだ。ここには住む者もない。人間から家畜に至るまで逃げ去った。
***

 

3節に、「なぜなら、北から一つの国がここに攻め上り、この地を荒れ果てさせたからだ。・・・」とあります。

 

2節と3節は、「北から一つの国がここに攻め上り、この地を荒れ果てさせたから」、『・・・ベルははずかしめられ、メロダクは砕かれた。その像ははずかしめられ、その偶像は砕かれた。』(2節)という文脈になると思います。

 

つまり、北から攻め上った一つの国がベルをはずかしめ、メロダクを砕き、その像をはずかしめ、その偶像を砕いた、ということです。

 

3節では、「『一つの国』が・・・この地を荒れ果てさせた」、ということが言われています。

 

そして、このことを、すなわち、北から攻め上った一つの国がバビロンを捕らえ、ベルをはずかしめ、メロダクを砕き、その像をはずかしめ、その偶像を砕いたということを、「諸国の民の間に告げ、旗を掲げて知らせよ。隠さずに言え。」(2節)という文脈になる、と言うことができると思います。

 

「ここには住む者もない」(3節)、というのは、「人間から家畜に至るまで逃げ去った」から、と考えることができます。

 

そして、「人間から家畜に至るまで逃げ去った」のは、「北から一つの国がここに攻め上」ったからであると考えられます。

 

つまり、「ここには住む者もない」ようになったのは、「北から一つの国がここに攻め上」ったからである、ということです。

 

3節では、『北から攻め上った一つの国』が『この地を荒れ果てさせた』、ということが言われています。

 

「メロダクは砕かれた」(2節)や「その偶像は砕かれた」(同)、というのは、『この地を荒れ果てさせた』ことの一部であると考えることができると思います。

 

YAHOO!知恵袋でわたしは、2024/1/13 21:39に、バビロンについての質問をしました。

 

URLはこちらです。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14291775664

 

そのわたしの質問に対して、1149965208さんが回答してくださいました。

 

2024/1/15 19:20のご回答の最後の段落で、1149965208さんは、
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歴史上には詳しく書かれいませんが、一般にバビロンは4世紀くらいから人が徐々に住まなくなったと言われています。主な理由はユーフラテス川の流れが変わり、バビロンからかなり遠く(40キロ)くらい離れてしまったからです。水がなければ、都市として機能しません。今ではバビロンは乾いた半砂漠の中の廃墟です。ですからエレミヤ51:52は、ずっと後になって実現したことになります
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とおっしゃっています。

 

バビロンに人が住まなくなったことについて述べておられます。

 

1行目から、「・・・一般にバビロンは4世紀くらいから人が徐々に住まなくなったと言われています・・・」、とあります。

 

1149965208さんは、2024/1/15 19:20のご回答の第5段落と第6段落で、次のようにおっしゃっています。
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ただこの部分のすべてが、その時に実現(成就)したわけではありません。例えば51:52には、バビロンは人が住まなくなるとありますが、バビロニア帝国が滅びた後も、都市としてのバビロンは存在し続け、次のペルシャ帝国や、その次のアレキサンダー大王のギリシャ帝国(マケドニア帝国)も、バビロンを帝国内の重要都市として使い続けました。

 

1世紀にもバビロン地域には人が住んでいました。バビロンには大きなユダヤ人の共同体があり、使徒ペテロはバビロンのユダヤ人の間で伝道したと言われています。(ペテロ第一5:13)ユダヤ人の有名な「バビロニア・タルムード」も2-3世紀に書かれたと言われていますから、その時にもまだバビロンには人が住んでいました。
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第5段落の2行目から、「・・・例えば51:52には、バビロンは人が住まなくなるとありますが、バビロニア帝国が滅びた後も、都市としてのバビロンは存在し続け、次のペルシャ帝国や、その次のアレキサンダー大王のギリシャ帝国(マケドニア帝国)も、バビロンを帝国内の重要都市として使い続けました。」とあります。

 

バビロニア帝国が滅びた後も」(第5段落3行目)というのは、カルデヤ人の王ベルシャツァルが殺されて、バビロンが滅んだあとも、と言い換えることができると思います。

 

つまり、ダニエル書5章30節にある、カルデヤ人の王ベルシャツァルが殺されたことのあとも、バビロンには人が住んでいた、ということです。

 

ちなみに、1149965208さんがおっしゃっておられる「エレミヤ51:52」というのは、「エレミヤ51:『62』」のことと思われます。

 

このように、1149965208さんによりますと、歴史上、「バビロニア帝国が滅びた後も、都市としてのバビロンは存在し続け、次のペルシャ帝国や、その次のアレキサンダー大王のギリシャ帝国(マケドニア帝国)も、バビロンを帝国内の重要都市として使い続けました」、ということです。

 

第6段落でも、「その時(すなわち、2-3世紀)にもまだバビロン・・・には人が住んでい・・・た」、とおっしゃっています。

 

つまり、カルデヤ人の王ベルシャツァルが殺され、それによってバビロンが滅んだあとも、バビロンには人が住んでいた、ということです。

 

その2、に続きます。