『新改訳聖書』第3版のイザヤ書13章19節に、次のように書かれています。
***
19節
こうして、王国の誉れ、
カルデヤ人の誇らかな栄えであるバビロンは、
神がソドム、ゴモラを滅ぼした時のようになる。
***
2行目から、「・・・バビロンは、神がソドム、ゴモラを滅ぼした時のようになる。」とあります。
同じようなことが、エレミヤ書50章40節に書かれています。
エレミヤ書50章40節は、次のようになっています。
***
40節
神がソドムと、ゴモラと、その近隣を滅ぼされたように、―主の御(み)告げ―そこには人が住まず、そこには人の子が宿らない。
***
下から2行目の、「・・・そこには・・・」というのは、50章34節からの文脈より、「バビロンには」のこと、と言うことができます。
そうすると40節は、「神がソドムと、ゴモラと、その近隣を滅ぼされたように、―主の御(み)告げ―『バビロンには』人が住まず、『バビロンには』人の子が宿らない。」となります。
バビロンは、「神がソドムと、ゴモラ・・・を滅ぼされたように」なる、ということが言われています。
「ソドムと、ゴモラ・・・を滅ぼされたように」なる、というのは、「人が住まず、・・・人の子が宿らない」ようになる、ということです。
イザヤ書13章19節(上記冒頭)でも、「バビロンは、神がソドム、ゴモラを滅ぼした時のようになる」、と言われています。
イザヤ書13章19節に続いて、同章20節に、次のように書かれています。
***
20節
そこには永久に住む者もなく、
代々にわたり、住みつく者もなく、
アラビヤ人も、そこには天幕を張らず、
牧者たちも、そこには群れを伏させない。
***
1行目から、「そこには永久に住む者もなく、代々(よよ)にわたり、住みつく者もな・・・い。」とあります。
「そこには」の「そこ」というのは、13章19節(上記冒頭)2行目の、「バビロン」のことです。
1行目からの引用は、「『バビロン』には永久に住む者もなく、代々(よよ)にわたり、住みつく者もな・・・い。」となります。
「バビロンは、神がソドム、ゴモラを滅ぼした時のようにな」(イザヤ13:19、上記冒頭)って、「『バビロン』には永久に住む者もなく、代々(よよ)にわたり、住みつく者もな・・・い」、という文脈になると思います。
エレミヤ書50章40節(上記前半)にも、「神がソドムと、ゴモラと、その近隣を滅ぼされたように、・・・そこには人が住まず、そこには人の子が宿らない。」とあります。
さらに、エレミヤ書50章40節直前の、39節には、次のように書かれています。
***
39節
それゆえ、そこには荒野(あらの)の獣が山犬とともに住み、だちょうがそこに住む。もう、いつまでも人は住まず、代々にわたって、住む人はない。
***
1行目の「・・・そこには・・・」、及び2行目の「・・・そこに・・・」の「そこ」というのは、50章34節からの文脈より、「バビロン」のこと、と言うことができます。
2行目から、「・・・もう、『いつまでも』人は住まず、『代々(よよ)にわたって』、住む人はない。」と言われています。
「バビロン」には、ということです。
その2、に続きます。