『新改訳聖書』第3版のエレミヤ書50章39節(その1後半)の、「・・・もう、『いつまでも』人は住まず、『代々(よよ)にわたって』、住む人はない・・・」は、イザヤ書13章20節(その1中ほど)の、「そこには『永久に』住む者もなく、『代々(よよ)にわたり』、住みつく者もな・・・い。」とだいたい同じです。
そして、イザヤ書13章20節に続いて、21節と22節に、次のように書かれています。
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21節
そこには荒野(あらの)の獣が伏し、
そこの家々にはみみずくが満ち、
そこにはだちょうが住み、
野やぎがそこにとびはねる。
22節
山犬は、そこの*とりでで、
ジャッカルは、豪華な宮殿で、ほえかわす。
その時の来るのは近く、
その日はもう延ばされない。
* 「やもめ」の読み替え
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21節1行目から、「そこには荒野(あらの)の獣が伏し、・・・そこにはだちょうが住み、・・・」とあり、22節1行目から、「山犬は、そこの*とりで(「やもめ」の読み替え)で・・・ほえかわす。・・・」とあります。
21節1行目の「そこには」の「そこ」と、同節2行目と3行目と4行目の「そこ」と、22節1行目の「そこ」というのは、イザヤ書13章19節(その1冒頭)2行目の、「・・・バビロン・・・」のことです。
21節では、「荒野(あらの)の獣」と「だちょう」のことが、22節では、「山犬」のことが語られています。
「荒野(あらの)の獣」と「だちょう」と「山犬」のことは、エレミヤ書50章39節(その1後半)でも語られています。
エレミヤ書50章39節1行目から、「それゆえ、そこには『荒野(あらの)の獣』が『山犬』とともに住み、『だちょう』がそこに住む。・・・」と書かれています。
以上、イザヤ書とエレミヤ書に書かれている「バビロン」について、見て来ました。
これまで見て来たことから、両者には幾つも共通点がある、ということが分かります。
これらの共通点から、イザヤ書13章19節(その1冒頭)と、エレミヤ書50章40節(その1前半)に書かれていることとは、『同じとき』のことである、と言うことができると思います。
その3、に続きます。