「主の日」について その20

新改訳聖書』第3版のイザヤ書13章9節(その19前半)に、次のように書かれています。
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9節
  見よ。の日が来る。残酷な日だ。
  憤りと燃える怒りをもって、
  地を荒れすたらせ、
  罪人たちをそこから根絶やしにする。
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3行目から、「地を荒れすたらせ・・・る。」とあります。

 

これは、ゼパニヤ書1章15節(その19後半)2行目の、「・・・荒廃・・・の日・・・」のことと考えることができます。

 

イザヤ書13章19節(2023-06-13「バビロン」について その1冒頭)の、「こうして、王国の誉れ、カルデヤ人の誇らかな栄えであるバビロンは、神がソドム、ゴモラを滅ぼした時のようになる。」や、同章20節(2023-06-13「バビロン」について その1中ほど)の、「そこには永久に住む者もなく、代々(よよ)にわたり、住みつく者もなく、アラビヤ人も、そこには天幕を張らず、牧者たちも、そこには群れを伏させない。」というのは、バビロンが「荒れすた」(イザヤ書)れ、「荒廃」(ゼパニヤ書)する、ということを意味すると思います。

 

また、「バビロンは、神がソドム、ゴモラを滅ぼした時のようになる」(イザヤ書)、というのは、ゼパニヤ書1章15節2行目の、「・・・滅亡の日・・・」のこと、と考えることができます。

 

イザヤ書13章9節に続いて10節に、次のように書かれています。
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10節
  天の星、天のオリオン座は光を放たず、
  太陽は日の出から暗く、
  月も光を放たない。
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2行目から、「太陽は日の出から『暗く』、月も光を放たない。」とあります。

 

イザヤ書13章9節(上記冒頭、及びその19前半)と上記10節の文脈から、『の日』は『暗い』日である、と言うことができます。

 

ゼパニヤ書1章15節(その19後半)3行目に、「やみと暗黒の日、雲と暗やみの日・・・」とあります。

 

上記イザヤ書13章10節に書かれていることは、このゼパニヤ書1章15節3行目の、「やみと暗黒の日・・・」のことと考えることができると思います。

 

また、イザヤ書13章10節に続いて11節に、次のように書かれています。
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11節
  わたしは、その悪のために世を罰し、
  その罪のために悪者を罰する。
  不遜な者の誇りをやめさせ、
  横暴な者の高ぶりを低くする。
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3行目から、「不遜な者の誇りをやめさせ、横暴な者の高ぶりを低くする。」とあります。

 

イザヤ書2章11節と12節(2022-05-19「主の日」について その2)に、次のように書かれています。
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11節
  その日には、高ぶる者の目も低くされ、
  高慢な者もかがめられ、
  おひとりだけが高められる。
12節
  まことに、万軍のの日は、
  すべてのおごり高ぶる者、すべて誇る者に
  襲いかかり、これを低くする。
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また、イザヤ書2章17節には、次のように書かれています。
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17節
  その日には、高ぶる者はかがめられ、
  高慢な者は低くされ、
  おひとりだけが高められる。
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上記2章11節に、「その日には、高ぶる者の目も低くされ・・・る。」とあります。

 

「その日には」の「その日」というのは、2章2節の「終わりの日・・・」のことで、おそらく、その2節から10節までに書かれていることが起こる日のことではないかと思われます。

 

2章11節の「その日には」というのは、直接的には、前節の「岩の間に入り、ちりの中に身を隠」し、「の恐るべき御顔を避け、そのご威光の輝きを避け」る日のこと、と思われます。

 

しかし上記2章12節に、「まことに、万軍のの日は、すべてのおごり高ぶる者、すべて誇る者に襲いかかり、これを低くする。」とあります。

 

この記述から、上記2章11節の、「その日には、高ぶる者の目も低くされ・・・る」、というのは、『万軍の日』のことであると考えられます。

 

上記2章17節の「その日には・・・」というのは、同章12節の「万軍のの日」には、のことと言うことができると思います。

 

以上述べて来たことから、イザヤ書2章の引用箇所については、『万軍のの日』のことが書かれている、と言うことができると思います。

 

イザヤ書13章11節(上記)3行目からの、「不遜な者の『誇り』をやめさせ、横暴な者の『高ぶり』を低くする。」というのは、イザヤ書2章11節と12節と17節(いずれも、上記)に書かれていることと、よく似ています。

 

特に、2章12節には、「・・・万軍のの日は、すべてのおごり高ぶる者、すべて誇る者に襲いかかり、これを低くする。」とあり、「すべてのおごり『高ぶる』者」と「すべて『誇る』者」について書かれています。

 

13章11節に書かれていること、すなわち、「不遜な者の『誇り』をやめさせ、横暴な者の『高ぶり』を低くする」と、だいたい同じ、と言ってよいと思います。

 

イザヤ書13章とゼパニヤ書1章との対比、およびイザヤ書13章とイザヤ書2章との対比から、イザヤ書13章に書かれていることは、『の日』のことである、と言うことができると思います。

 

イザヤ書13章には、6節と9節に、『の日』という言葉があります。

 

イザヤ書13章に書かれていることが『の日』のことであるとすると、13章との対比から、イザヤ書2章に書かれていることも、『万軍のの日』のことであるだけ
ではなく、『の日』のことでもある、と言うことができると思います。

 

その21、に続きます。