「神殿」について その1

新改訳聖書』第3版のコリント人への手紙 第一3章16節と17節に、次のように書かれています。
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16節
あなたがたは神の神殿であり、神の御霊(みたま)があなたがたに宿っておられることを知らないのですか。
17節
もし、だれかが神の神殿をこわすなら、神がその人を滅ぼされます。神の神殿は聖なるものだからです。あなたがたがその神殿です。
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16節に、「あなたがたは神の神殿であり、・・・」とあり、17節2行目から、「・・・あなたがたがその神殿です。」とあります。

 

「あなたがた」というのは、3章1節の「・・・兄弟たち・・・」のことですが、それは『キリストにある』(同節)者のこと、と言うことができると思います。

 

コリント人への手紙 第一3章1節は、次のようになっています。
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1節
さて、兄弟たちよ。私は、あなたがたに向かって、御霊(みたま)に属する人に対するようには話すことができないで、肉に属する人、キリストにある幼子に対するように話しました。
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下から2行目に、「・・・『キリストにある』幼子・・・」とあります。

 

また、コリント人への手紙 第一1章1節から3節までに、次のように書かれています。
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1節
神のみこころによってキリスト・イエス使徒として召されたパウロと、兄弟ソステネから、
2節
コリントにある神の教会へ。すなわち、私たちの主イエス・キリストの御(み)名を、至る所で呼び求めているすべての人々とともに、聖徒として召され、キリスト・イエスにあって聖なるものとされた方々へ。主は私たちの主であるとともに、そのすべての人々の主です。
3節
私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安があなたがたの上にありますように。
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3節1行目から、「・・・恵みと平安が『あなたがた』の上にありますように。」とあります。

 

この手紙は、「コリントにある神の教会」(2節)に対して書かれたものです。

 

したがって、『あなたがた』というのは、「コリントにある神の教会」(2節1行目)のこと、と言うことができると思います。

 

そして、「コリントにある神の教会」というのは、2節1行目からの、「・・・私たちの主イエス・キリストの御(み)名を、至る所で呼び求めているすべての人々とともに、聖徒として召され、キリスト・イエスにあって聖なるものとされた方々・・・」のこと、と言うことができます。

 

2節3行目から、「・・・『キリスト・イエスにあって』聖なるものとされた方々へ。・・・」とあります。

 

また、コリント人への手紙 第一1章5節には、次のように書かれています。
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5節
というのは、あなたがたは、ことばといい、知識といい、すべてにおいて、キリストにあって豊かな者とされたからです。
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1行目から、「・・・『あなたがた』は、ことばといい、知識といい、すべてにおいて、『キリストにあって』豊かな者とされた・・・」とあります。

 

このように、『あなたがた』というのは、『キリストにある』者のこと、と言うことができると思います。

 

そうすると、コリント人への手紙 第一3章16節(上記冒頭)の、「あなたがたは神の神殿であり・・・」は、「『キリストにある者』は神の神殿であり・・・」、となります。

 

また、『あなたがた』というのは、「『聖徒』として召され、キリスト・イエスにあって聖なるものとされた方々」(1章2節、上記)のことでもあります。

 

つまり、『神の神殿』というのは、ソロモンの神殿のような、文字通りの建物の神殿のことではなく、『キリストにある者』や『聖徒』という『人々』の神殿のことである、ということです。

 

いかがでしょうか。どのように思われますか。