『新改訳聖書』第3版のヨハネの黙示録21章3節(その35冒頭)に、次のように書かれています。
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3節
そのとき私は、御(み)座から出る大きな声がこう言うのを聞いた。「見よ。神の幕屋が人とともにある。神は彼らとともに住み、彼らはその民となる。また、神ご自身が彼らとともにおられて、*
* 異本「また彼らの神となり」を加える
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2行目から、「・・・神は彼ら(すなわち、人)とともに『住み』、・・・」、とあります。
エペソ人への手紙2章20節から22節までに、次のように書かれています。
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20節
あなたがたは使徒と預言者という土台の上に建てられており、キリスト・イエスご自身がその礎石です。
21節
この方にあって、組み合わされた建物の全体が成長し、主にある聖なる宮となるのであり、
22節
このキリストにあって、あなたがたもともに建てられ、御霊(みたま)によって神の御(み)住まいとなるのです。
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「あなたがた」(20節)は「主にある聖なる『宮』となるのであり、・・・『神の御(み)住まい』となるのです。」(21節と22節)とあります。
「『宮』となる」は、言い換えると、『神殿』となるということである、と言うことができると思います。
「あなたがた」(20節)は『神殿』になるので『神が住まわれる』、すなわち、『神の御(み)住まい』となる、ということだと思います。
ヨハネの黙示録21章3節(上記冒頭)には、「神は彼ら『とともに』住み」とあります。
「あなたがた」、すなわち『人』が『神殿』になるので、「神は彼ら(すなわち、人)『とともに』住」まわれる、ということではないかと思われます。
エゼキエル書37章27節(その14前半)に、次のように書かれています。
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27節
わたしの住まいは彼らとともにあり、わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。
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「わたし(すなわち、神である主)の住まいは彼ら『とともに』あ・・・る。」とあります。
ヨハネの黙示録21章3節(上記冒頭)に、「神は彼ら『とともに』住み」、とあります。
表現は違いますが、内容は同じである、と言うことができると思います。
また、ヨハネの黙示録21章3節(上記冒頭)には、「・・・彼らはその(すなわち、神の)民となる。・・・」(下から2行目)とあります。
エゼキエル書37章27節(上記)2行目には、「・・・彼らはわたし(すなわち、神である主)の民となる。」とあります。
これも、内容は同じである、と言うことができると思います。
ただし、「彼ら」が同じものであるかどうかについては、もっと考える必要があると思います。
「彼ら」は、ヨハネの黙示録の方は『人』を指していますが、エゼキエル書の方は『イスラエル人』を指していると考えられます。
この『人』と『イスラエル人』とは同じものであるのか、ということです。
以上『神殿』について述べて来ました。
『神殿』というのは、ソロモンの神殿のような、文字通りの建物の神殿のことであるだけではなく、コリント人への手紙 第一3章16節と17節(その1冒頭)や、エペソ人への手紙2章20節から22節まで(上記、及びその2冒頭など)に書かれている「あなたがた」のような『人』の神殿のことでもある、と言うことができると思います。
いかがでしょうか。どのように思われますか。