「神殿」について その14

新改訳聖書』第3版のエペソ人への手紙2章21節と22節(その2冒頭)に、次のように書かれています。
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21節
この方にあって、組み合わされた建物の全体が成長し、主にある聖なる宮となるのであり、
22節
このキリストにあって、あなたがたもともに建てられ、御霊(みたま)によって神の御(み)住まいとなるのです。
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22節に、「このキリストにあって、あなたがたもともに建てられ、御霊(みたま)によって神の御(み)住まいとなるのです。」とあります。

 

「神の御(み)住まいとなる」のは、「このキリストにあって」、「御霊(みたま)によって」である、ということが言われています。

 

「あなたがた」は「神の御(み)住まいとなる」と似たようなことが、エゼキエル書37章27節(その5冒頭、及びその13)に書かれています。

 

エゼキエル書37章27節(その5冒頭、及びその13)に、次のように書かれています。
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27節
わたしの住まいは彼らとともにあり、わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。
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1行目に、「わたしの住まいは彼らとともにあり、・・・」とあります。

 

これは、どう理解したらよいでしょうか。

 

一つは、「彼ら」は「わたしの住まい」となる、という意味で読むことができると思います。

 

この場合は、「わたし」は「彼ら」の中に「住む」、という意味になります。

 

「彼ら」が「住まい」、すなわち『家』だからです。

 

仮に、「彼ら」は「わたしの住まい」となる、と読むとすると、「あなたがた」は「神の御(み)住まいとなる」(エペソ2:22、上記冒頭)とよく似ています。

 

ただし、「あなたがた」の場合は、「あなたがた」は『キリストにある』者である、と言うことができます。

 

「あなたがた」は「神の御(み)住まいとなる」(エペソ2:22、上記冒頭)、というのは、「彼ら」の場合と同様、「神」が「あなたがた」の中に「住まわれる」、ということを意味します。

 

エゼキエル書37章27節(上記)の、「わたしの住まいは彼らとともにあ」るというのを、「彼ら」は「わたしの住まい」となる、と読むとします。

 

そしてこれがエペソ人への手紙2章22節に書かれていることと同じことを言っているとすると、「わたしの住まい(は)が彼らとともにあ」(エゼ37:27)るのは、『キリスト以降』のことである、ということになります。

 

「神の御(み)住まいとなる」(エペソ2:22、上記冒頭)のは、『このキリストにあって』である、と言われているからです。

 

しかし、どうでしょうか。エペソ人への手紙2章22節に書かれていることと、同じことを言っているのでしょうか。

 

これについては、これ以上広げないで、エゼキエル書37章に戻ります。

 

その15、に続きます。