「神殿」について その29

新改訳聖書』第3版のヨハネの黙示録21章3節と4節に、次のように書かれています。
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3節
そのとき私は、御(み)座から出る大きな声がこう言うのを聞いた。「見よ。神の幕屋が人とともにある。神は彼らとともに住み、彼らはその民となる。また、神ご自身が彼らとともにおられて、*

 

* 異本「また彼らの神となり」を加える

 

4節
彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。」
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3節2行目から、「・・・見よ。『神の幕屋』が人とともにある。『神は』彼らとともに『住み』、彼らはその民となる。・・・」とあります。

 

コリント人への手紙 第二5章1節(その27前半)では、「『地上の』幕屋」でしたが、ここでは、『神の幕屋』となっています。

 

「『神の幕屋』が人とともにある」(3節2行目)、という言葉から、『人』は『神の幕屋』を着ているのではないか、という考えが浮かびます。

 

「御(み)座から出る大きな声」(3節)が、「・・・見よ。『神の幕屋』が人とともにある。『神は』彼らとともに『住み』、彼らはその民となる。・・・」と言ったのは、「私はまた、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために飾られた花嫁のように整えられて、神のみもとを出て、天から下って来るのを見た」(21章2節)ときです。

 

ヨハネの黙示録21章2節は、次のようになっています。
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2節
私はまた、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために飾られた花嫁のように整えられて、神のみもとを出て、天から下って来るのを見た。
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3節(上記冒頭)に、「『そのとき』私は、御(み)座から出る大きな声がこう言うのを聞いた。」とあります。

 

『そのとき』というのは、2節に書かれていることがあったとき、です。

 

すなわち、「私はまた、聖なる都、新しいエルサレムが、・・・神のみもとを出て、天から下って来るのを見た」とき、です。

 

「聖なる都、新しいエルサレム」が「天から下って来るのを見た」とき、「御(み)座から出る大きな声」(3節)が、「・・・見よ。『神の幕屋』が人とともにある。『神は』彼らとともに『住み』、彼らはその民となる。・・・」と言ったのです。

 

「天から下って来るのを見た」ときそのように言ったのは、「聖なる都、新しいエルサレム」は、「『神の幕屋』が人とともにあ」り、「『神は』彼らとともに『住み』、彼らはその民となる」ところだからではないか、と思われます。

 

つまり、「聖なる都、新しいエルサレム」では、「『神の幕屋』が人とともにあ」り、「『神は』彼らとともに『住み』、彼らはその民とな」っている、ということです。

 

そうであるとすると、「聖なる都、新しいエルサレム」は「天から下って来」たので、『神の幕屋』というのは、『天』にあった幕屋のことである、と言うことができます。

 

ヨハネの黙示録21章3節(上記冒頭)に、2行目から、「・・・神の幕屋が人とともにある。神は彼らとともに『住み』、彼らはその民となる。・・・」とあります。

 

「彼ら」というのは、3節2行目の「・・・神の幕屋が人とともにある・・・」の『人』こと、と言うことができます。

 

「神は彼らとともに住み」(上記冒頭3節)は、「神は『人』とともに住み」、となります。

 

このとき『人』は『神の幕屋』を着ているので、神は『人』とともに『住む』ことができるのではないかと思いますが、いかがでしょうか。

 

その30、に続きます。