「霊」について その1

新改訳聖書』第3版のエペソ人への手紙2章1節から3節までに、次のように書かれています。
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1節
あなたがたは自分の罪過と罪との中に死んでいた者であって、
2節
そのころは、それらの罪の中にあってこの世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者として今も不従順の子らの中に働いている霊に従って、歩んでいました。
3節
私たちもみな、かつては不従順の子らの中にあって、自分の肉の欲の中に生き、肉と心の望むままを行い、ほかの人たちと同じように、生まれながら御怒りを受けるべき子らでした。
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2節2行目から、「空中の権威を持つ支配者として今も不従順の子らの中に働いている霊・・・」とあります。

 

この「霊」は、「空中の権威を持つ支配者として今も不従順の子らの中に働いている」、と言うことができます。

 

この場合の「今」は、エペソ人への手紙が書かれた当時のことですが、現在でも、同じことが言えるのではないかと思われます。

 

2節冒頭に、「そのころは、・・・」とあります。

 

「そのころ」というのは、1節の、「・・・自分の罪過と罪との中に死んでいた者であっ・・・」たころ、のことと言うことができると思います。

 

そうすると2節は、「自分の罪過と罪との中に死んでいた者であったころは、それらの罪の中にあってこの世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者として今も不従順の子らの中に働いている霊に従って、歩んでいました。」となります。

 

「それらの罪」というのは、「自分の罪過と罪」のこと、と言うことができます。

 

2節を言い換えると、それらの罪(すなわち、自分の罪過と罪)の中にあってこの世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者として今も不従順の子らの中に働いている霊に従って、歩んでいたのは、自分の罪過と罪との中に死んでいた者であったころのことである、となります。

 

そうすると、空中の権威を持つ支配者として今も不従順の子らの中に働いている霊に従って、歩んでいたときは、自分の罪過と罪との中に死んでいた者であった、と言うことができるのではないでしょうか。

 

さらに、この「霊」が、今も不従順の子らの中に働いているということは、今不従順の子らは、自分の罪過と罪との中に死んでいる者である、と言うことができるのではないでしょうか。

 

その2、に続きます。