「よみ」について その3の3

新改訳聖書』第3版のエゼキエル書32章24節に、次のように書かれています。
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32章24節
そこには、エラムがおり、そのすべての群集もその墓の回りにいる。彼らはみな、刺し殺された者、剣に倒れた者、割礼を受けないで地下の国に下った者、生ける者の地で恐怖を巻き起こした者たちである。それで彼らは穴に下る者たちとともに自分たちの恥を負っている。
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4行目から、「・・・それで彼らは穴に下る者たちとともに自分たちの恥を負っている。」とあります。

 

この言葉から、「穴に下る者たち」は「自分たちの恥を負っている」、ということが分かります。

 

下から2行目の「・・・それで・・・」というのは、
①「彼らはみな・・・生ける者の地で恐怖を巻き起こした者たちである」ので、
ということか、あるいは、
②「彼らはみな、刺し殺された者、剣に倒れた者、割礼を受けないで地下の国に下った者、生ける者の地で恐怖を巻き起こした者たちである」ので、
ということであると思われます。

 

①で考えると、「彼らはみな・・・生ける者の地で恐怖を巻き起こした者たちであるので、彼らは穴に下る者たちとともに自分たちの恥を負っている。」となります。

 

②で考えると、「彼らはみな、刺し殺された者、剣に倒れた者、割礼を受けないで地下の国に下った者、生ける者の地で恐怖を巻き起こした者たちであるので、彼らは穴に下る者たちとともに自分たちの恥を負っている。」となります。

 

いずれにしても、「エラム」と「そのすべての群集」は「自分たちの恥を負っている」、ということが言われています。

 

「アッシリヤとその全集団」(22節)については、「自分たちの恥を負っている」、ということは書かれていません。

 

その4の1、に続きます。