「よみ」について その3の2

新改訳聖書』第3版のエゼキエル書32章24節(その3の1、冒頭)2行目から、「・・・彼らはみな、・・・割礼を受けないで地下の国に下った者・・・たちである。・・・」とあります。

 

「彼ら」というのは、「エラム」と「そのすべての群集」のことと言えるので、「エラム」と「そのすべての群集」は「割礼を受けないで地下の国に下った者・・・たちである」、ということになります。

 

「アッシリヤとその全集団」については、「割礼を受け(てい)ない」ということは書かれていませんが、21節(その1の1、前半)に、「・・・降りて来て、・・・割礼を受けていない者たちとともに横たわれ・・・」とあります。

 

19節にも、「下って行(い)って、割礼を受けていない者たちとともに横たわれ・・・」とあります。「あなたは・・・横たわれ」なのですが、「あなた」というのは、18節の「・・・エジプトの群集・・・」のこと、と言うことができます。

 

これは、「のことば」(17節)であり、「」が「エジプトの群集」について語られている、と言うことができます。

 

21節の場合は、勇敢な勇士たちが語りかけています。

 

20節に、「・・・その国とそのすべての群集を引きずり降ろせ。」とあって、21節に、「・・・降りて来て・・・横たわれ・・・」とあるので、「降りて来」るのは、「その国とそのすべての群集」であると考えられます。

 

つまり、「エジプトとそのすべての群集」です。

 

「エジプトとそのすべての群集」を「引きずり降ろせ」、ということになると考えられます。

 

そして勇敢な勇士たちが、「降りて来て、・・・割礼を受けていない者たちとともに横たわれ」、と語りかけている、となります。

 

19節でも21節でも、「割礼を受けていない者たちとともに横たわれ」、ということが言われています。

 

24節(その3の1、冒頭)の「エラム」と「そのすべての群集」は、「割礼を受けないで地下の国に下った者・・・たち」です。

 

また、25節には、「みな、割礼を受けていない者・・・である。・・・」と書かれています。

 

19節と21節で言われている「割礼を受けていない者たち」の中には、「エラム」と「そのすべての群集」がいるのではないか、と思いますが、いかがでしょうか。

 

その3の3、に続きます。