「よみ」について その4の4

新改訳聖書』第3版のエゼキエル書32章25節に、次のように書かれています。
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32章25節
その寝床は刺し殺された者たちの間に置かれ、そのすべての群集も、その墓の回りにいる。みな、割礼を受けていない者、剣で刺し殺された者である。彼らの恐怖が生ける者の地にあったからである。それで彼らは穴に下る者たちとともに自分たちの恥を負っている。彼らは刺し殺された者たちの間に置かれた。
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4行目から、「・・・それで彼らは穴に下る者たちとともに自分たちの恥を負っている。・・・」とあります。

 

「それで」というのは、「彼らの恐怖が生ける者の地にあった」(3行目)ので、のことであると思われます。

 

「彼らの恐怖が生ける者の地にあったので、彼らは穴に下る者たちとともに自分たちの恥を負っている。彼らは刺し殺された者たちの間に置かれた。」という文脈になると思われます。

 

そして、「彼らの恐怖が生ける者の地にあったから」、「その寝床(ねどこ)は刺し殺された者たちの間に置かれ、そのすべての群集も、その墓の回りにいる。みな、割礼を受けていない者、剣で刺し殺された者である。」という文脈になると思われます。

 

仮に、「彼らの恐怖が生ける者の地にあったから」、「その寝床(ねどこ)は刺し殺された者たちの間に置かれ、そのすべての群集も、その墓の回りにいる」、と考えます。

 

そうすると、「彼ら」が「生ける者の地」で「恐怖」を巻き起こした、言い換えると、「恐怖」を与えた、例えば、剣で刺し殺したから、「彼ら」自身も、「剣で刺し殺された者」となり、「その寝床(ねどこ)は刺し殺された者たちの間に置かれ、そのすべての群集も、その墓の回りにいる」、ということになるのではないかと思われますが、いかがでしょうか。

 

彼らの恐怖が生ける者の地にあると、なぜ、その寝床(ねどこ)は刺し殺された者たちの間に置かれ、そのすべての群集も、その墓の回りにいるようになるのか(その4の3、第一段落)、と言うと、さしあたり、以上述べたことのように考えられます。

 

いかがでしょうか、どのように思われますか。

 

その4の5、に続きます。