「よみ」について その6の3

新改訳聖書』第3版のエゼキエル書32章27節(その6の1、冒頭)3行目からの、「・・・勇士たちは生ける者の地で恐れられていたからである。」については、
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勇士たちは生ける者の地で恐れられていたから、武具を持ってよみに下り、剣は頭の下に置かれ、盾(「咎」の読み替え)は彼らの骨に置かれている。
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という文脈になると思われます。

 

また、「勇士たちは生ける者の地で恐れられていたから」、『埋葬』されたのではないかと思われます。

 

これに対して、「メシェクとトバル」および「そのすべての群集」の場合は、「生ける者の地で恐れられていた」ということではなく、「生ける者の地で恐怖を巻き起こした」(26節)、と書かれています。

 

「生ける者の地で恐怖を巻き起こした」ので、「生ける者の地で恐れられていた」、と考えることもできますが、この場合は「恐怖」であって、「畏怖」ではない、と考えることもできると思います。

 

「ずっと昔に倒れた勇士たち」が『埋葬』されたのだとすると、この場合は、「畏怖」の念を抱かれていた、と考えることができます。

 

このように、「メシェクとトバル」および「そのすべての群集」は、「ずっと昔に倒れた勇士たち」とは違う、と言うことができます。

 

だから、「彼ら(すなわち、メシェクとトバルおよびそのすべての群集)は、ずっと昔に倒れた勇士たちとともに横たわることはできない」のではないか、と思いますが、いかがでしょうか。

 

その7の1、に続きます。