「相続人」について その3

新改訳聖書』第3版の使徒の働き13章34節に、次のように書かれています。
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13章34節
神がイエスを死者の中からよみがえらせて、もはや朽ちることのない方とされたことについては、『わたしはダビデに約束した聖なる確かな祝福を、あなたがたに与える』というように言われていました。
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1行目から、「神がイエスを死者の中からよみがえらせて、もはや朽ちることのない方とされたことについては、・・・」とあります。神はイエスを死者の中からよみがえらせて、もはや朽ちることのない方とされた、と書かれています。

 

また、ルカの福音書13章32節に、次のように書かれています。
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13章32節
エスは言われた。「行って、あの狐にこう言いなさい。『よく見なさい。わたしは、きょうと、あすとは、悪霊(あくれい)どもを追い出し、病人をいやし、三日目に全(まっと)うされます。
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2行目から、「・・・わたしは、・・・三日目に全(まっと)うされます。」とあります。「三日目」というのは、イエス「復活される日」のこと、と言うことができると思います。「復活される日」に、イエスは「全(まっと)うされ」る、言い換えると、「完成される」、ということではないでしょうか。

 

そして、「復活され『た』日」に、イエスは「全(まっと)うされ」『た』、言い換えると、「完成され『た』」、のではないかと思います。

 

このように、イエスは復活されて、あるいは、よみがえられて、朽ちることのない方とされたので、「永遠のいのち」を得た、と言うことができるのではないでしょうか。そして、これによって、つまり、「永遠のいのち」を得たことによって、イエスは、「神の子ども」として、また、「神の相続人」として、言い換えると、「朽ちないもの」を相続する者として、「完成」され『た』、と言えるのではないかと思います。

 

「人」も、朽ちることのないものとされて、「永遠のいのち」を得たときに、「神の子ども」として、また、「神の相続人」として、「完成」され『る』、のではないかと思います。

 

「・・・子『です』」(ガラテヤ4:7)とあり、「・・・相続人『です』」(同)とあります。確かに、『です』というのは、『である』ということを意味していると思います。

 

しかし、人が「肉のからだ」である限り、すなわち、「朽ちるからだ」である限り、人は「人の財産」を相続することはできても、朽ちない「神の財産」を相続することはできない、のではないでしょうか。朽ちない「神の財産」を相続するには、人は「朽ちない者」となっていなければならないと思います。

 

「・・・子『です』」(ガラテヤ4:7)というのは、「子としての身分を受け」(ガラテヤ4:5)た、ということではないかと思いますが、いかがでしょうか。

 

どのように思われますか。