「廃墟」について―エジプト― その2

エゼキエル書31章は、「エジプトの王パロと彼の大軍」(2節)について書かれている、と言うことができると思います。31章2節に、「人の子よ。エジプトの王パロと彼の大軍に言え。・・・」と書かれています。

 

31章でさまざまなことが語られ、最後18節の終わりのほうに、「・・・これは、パロと、そのすべての大軍のことである。・・・」とあります。ここからも、「エジプトの王パロと彼の大軍」(2節)について書かれている、と言うことができると思います。

 

その31章10節と11節に、次のように書かれています。
***
10節
それゆえ、神である主はこう仰せられる。そのたけが高くなり、そのこずえが雲の中にそびえ、その心がおごり高ぶったから、
11節
わたしは、これを諸国の民のうち力ある者の手に渡した。彼はこれをひどく罰し、わたしも、その悪行に応じてこれを追い出した。
***

 

10節2行目に、「・・・その心がおごり高ぶった・・・」とあります。エゼキエル書31章は、「エジプトの王パロと彼の大軍」(2節)について書かれている、と言えるので、「その心がおごり高ぶった」というのは、「エジプトの王パロの心がおごり高ぶった」、あるいは、「エジプトの王パロと彼の大軍の心がおごり高ぶった」、と読むことができると思います。

 

エゼキエル書29章3節と9節の『川は私のもの。私がこれを造った』、というのは、「エジプトの王パロの心がおごり高ぶった」ことを表わしているのではないでしょうか。

 

「彼が、『川は私のもの。私がこれを造った』と言ったから」、「エジプトの地は荒れ果てて廃墟となる。」(29章9節)というのは、「エジプトの王パロの心がおごり高ぶった」から、「エジプトの地は荒れ果てて廃墟となる」、ということではないかと思いますが、いかがでしょうか。