「契約」について その3

新改訳聖書』第3版のエレミヤ書32章40節(その1前半)に、次のように書かれています。
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40節
わたしが彼らから離れず、彼らを幸福にするため、彼らととこしえの契約を結ぶ。わたしは、彼らがわたしから去らないようにわたしに対する恐れを彼らの心に与える。
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1行目から、「わたしが彼らから離れず、彼らを幸福にするため、彼らととこしえの契約を結ぶ。・・・」とあります。

 

このことばから、「とこしえの契約」は「わたしが彼らから離れず、彼らを幸福にするため」に結ばれる、ということが分かります。

 

「わたし」というのは、32章36節の記述から、「イスラエルの神、」のこと、と言うことができます。

 

エレミヤ書32章36節は次のようになっています。
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36節
それゆえ、今、イスラエルの神、は、あなたがたが、「剣とききんと疫病により、バビロンの王の手に渡される」と言っているこの町について、こう仰せられる。
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1行目から、「・・・イスラエルの神、は・・・こう仰せられる。」とあって、37節があります。

 

エレミヤ書32章37節は次のようになっています。
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37節
「見よ。わたしは、わたしの怒りと、憤りと、激怒とをもって散らしたすべての国々から彼らを集め、この所に帰らせ、安らかに住まわせる。
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36節と37節の文脈から、37節の「わたし」というのは、イスラエルの神、」のこと、と言うことができます。

 

そして、37節の左かぎかっこ以降は、イスラエルの神、が仰せられたことばになります。

 

この37節の左かぎかっこの相手である右かぎかっこは、41節にあります。

 

そうすると、37節から41節までの「わたし」というのは、すべて、「イスラエルの神、」のこととなります。

 

したがって40節(上記冒頭)の「わたし」というのは、「イスラエルの神、」のこと、と言うことができます。

 

39節(その1前半)の「わたし」も、同じです。

 

そうすると、上記冒頭40節の、「わたしが彼らから離れず、彼らを幸福にするため、彼らととこしえの契約を結ぶ。・・・」は、「『イスラエルの神、』が彼らから離れず、彼らを幸福にするため、彼らととこしえの契約を結ぶ。・・・」となります。

 

イスラエルの神、』が『彼らと』とこしえの契約を結ぶ、のです。

 

『彼らと』の『彼ら』というのは、「その2」で述べたように、32節(その1中ほど)に書かれている人々のこと、すなわち、「・・・イスラエルの子らとユダの子ら・・・、すなわち彼ら自身と、その王、首長、祭司、預言者・・・、またユダの人もエルサレムの住民も・・・」のこと、と考えられます。

 

この『彼ら』は、32章32節(その1中ほど)の記述から、「わたしの怒りを引き起こすために行った、すべての悪」を行なった者たちである、と言うことができます。

 

その『彼ら』と、イスラエルの神、は「とこしえの契約」を結ぶのです。

 

へブル人への手紙8章9節(その2後半)の、「・・・わたしが彼らの父祖たちの手を引いて、彼らをエジプトの地から導き出した日に彼らと結んだ契約・・・」については、主は、「彼らがわたしの契約を守り通さないので、わたしも、彼らを顧みなかった」、と言われました。

 

これに対して、エレミヤ書32章40節(上記冒頭)の「とこしえの契約」については、「わたしが彼らから離れず、彼らを幸福にするため、彼らととこしえの契約を結ぶ」、と言われています。

 

「わたしが彼らから離れず、彼らを幸福にする」ということから、『彼ら』は、「あの初めの契約」(ヘブル8:7、その2後半)とは違って、「とこしえの契約」は守り、また守り通す、と考えられます。

 

『彼ら』は「とこしえの契約」は守るので、「幸福になる」と考えられるのです。

 

『彼ら』が「とこしえの契約」を守るのは、「わたしは、彼らがわたしから去らないようにわたしに対する恐れを彼らの心に与える」(40節、上記冒頭)からではないか、と思われます。

 

また、「わたしは、いつもわたしを恐れさせるため、彼らと彼らの後(のち)の子らの幸福のために、彼らに一つの心と一つの道を与え」(39節、その1前半)るからではないか、と思われます。

 

「あの初めの契約」(ヘブル8:7、その2後半)、すなわち、「わたしが彼らの父祖たちの手を引いて、彼らをエジプトの地から導き出した日に彼らと結んだ契約」(ヘブル8:9、その2後半)の場合は、「彼らがわたしの契約を守り通さないので、わたしも、彼らを顧みなかった」(ヘブル8:9、その2後半)のですが、「とこしえの契約」の場合は、『彼ら』は『顧みられる』、と考えられます。

 

以上のことからも、「とこしえの契約」というのは、「あの初めの契約」(ヘブル8:7、その2後半)、いわゆる「旧約」のことではない、と言うことができると思います。

 

その4、に続きます。