エレミヤ書50章について その4

新改訳聖書』第3版のエレミヤ書51章62節(その3冒頭)に、次のように書かれています。
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62節
よ。あなたはこの所について、これを滅ぼし、人間から獣に至るまで住むものがないようにし、永遠に荒れ果てさせる、と語られました』と言い、
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1149965208さんは、「人間から獣に至るまで住むものがないように」される、という預言は「ずっと後になって実現したことになります」、と理解されています。2024/1/15 19:20のご回答の最後の段落(その1中ほど)をご参照ください。

 

バビロニア帝国がメディア・ペルシャ帝国によって滅ぼされてから「ずっと後になって実現したことになります」、ということです。

 

そうすると、エレミヤ書51章62節(上記冒頭)の、「・・・これ(=この所、すなわちバビロン)を滅ぼし、人間から獣に至るまで住むものがないようにし・・・」の部分は、「滅ぼし」と「住むものがない」を切り離して読むことになります。

 

同じ時代のことではない、ということです。

 

1149965208さんによりますと、「滅ぼし」ということと、「住むものがない」ということとの間には、長い期間があります。

 

「滅ぼし」は「多くの歴史家(は)がそれがBC539であったとしてい」(2024/1/15 19:20のご回答の第2段落)る時代のことであり、一方、「住むものがない」は「4世紀くらい」(同ご回答の最後の段落、その1中ほど)以降の時代のことです。

 

1149965208さんによりますと、エレミヤ書51章62節(上記冒頭)の、「・・・これ(=この所、すなわちバビロン)を滅ぼし、人間から獣に至るまで住むものがないようにし・・・」の「滅ぼし」と「住むものがない」は、同じ時代のことではないのであり、それらの間には長い期間があるのです。

 

エレミヤ書51章62節をそのようなものとして読んでよいのだろうか、という疑問が残ります。

 

例えば、エレミヤ書51章62節に書かれていることは、同書50章3節(その1冒頭)に書かれていることとよく似ています。

 

エレミヤ書50章3節(その1冒頭)は、次のようになっています。
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3節
なぜなら、北から一つの国がここに攻め上り、この地を荒れ果てさせたからだ。ここには住む者もない。人間から家畜に至るまで逃げ去った。
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エレミヤ書51章62節(上記冒頭)に書かれていることのうち、「人間から獣に至るまで住むものがないようにし、永遠に荒れ果てさせる」、の部分は、同書50章3節(上記、及びその1冒頭)に書かれている、「この地を荒れ果てさせたからだ。ここには住む者もない。人間から家畜に至るまで逃げ去った」、の部分と非常によく似ています。

 

違うのは、50章3節では、「獣」が「家畜」になっているという点と、「逃げ去った」という言葉が51章62節にはないという点と、51章62節にはある「永遠に」という言葉が50章3節にはない、という点です。

 

わたしは、この二つの節、すなわち、エレミヤ書50章3節と51章62節に書かれていることは、同じときのことであると考えています。

 

非常によく似ているからです。

 

50章3節に、「ここには住む者もない」とありますが、そのようになったのは、「その1」で述べたように、「北から一つの国がここに攻め上」ったからであると考えられます。

 

そのように読む場合は、「滅ぼし」(50章3節では「この地を荒れ果てさせた」が「滅ぼし」に当たると考えます)と「住む者もない」は、『同じとき』のことになります。

 

あくまでも、それらの二つの節に書かれていることが同じときのことであるという前提のもとで、ですが、50章3節をそのように読むとすると、51章62節の場合も、『同じとき』のこととして読むことになります。

 

エレミヤ書51章62節(上記冒頭)の、「滅ぼし」と「住むものがない」は、『同じとき』のことである、ということです。

 

しかし、エレミヤ書51章62節(上記冒頭)の、「滅ぼし」と「住むものがない」を切り離して、すなわち『同じとき』のことではない、ものとして読むことはできると思います。

 

そうするとあとは、エレミヤ書50章と51章のほかの記述との関連ではどうなるのか、ということになると思います。

 

その5、に続きます。