ピリピ人への手紙2章6節について その7

岩波翻訳委員会訳1995のフィリピ人への手紙2章5節に、次のように書かれています。
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500205
このことを、すなわちキリスト・イエスにおいても〔妥当すること〕を、あなたがたのうちにあって思い抱きなさい。
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1行目から、「このことを、すなわちキリスト・イエスにおいても〔妥当すること〕を・・・」とあります。

 

岩波翻訳委員会訳1995のフィリピ人への手紙2章1節から4節までに、次のように書かれています。
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500201
そこで、もしも〔あなたがたのうちに〕いくらかでもキリストにある慰めが〔ある〕のなら、もしもいくらかでも愛の励ましが〔ある〕のなら、もしもいくらかでも霊の交わりが〔ある〕のなら、もしもいくらかでも愛の思いと憐れみとが〔ある〕のなら、
500202
あなたがたは私の喜びを満たしてくれるように。それはあなたがたが同じことを思い抱くためである。〔すなわち、〕同じ愛を抱き、心を共にし、一つのことを思い抱きながら、
500203
なにごとをも党派心によってではなく、虚栄心によってでもなく、むしろ謙虚な思いによって互いを自分よりも優れた者と考え、
500204
おのおのが自分自身のこと〔ばかり〕にでなく、むしろ他人のことに[も]それぞれに注目しながら〔同じことを思い抱くためである〕。
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フィリピ人への手紙2章5節(上記冒頭)1行目の「このこと」というのは、2章2節(上記)2行目から4節(上記、及びその6冒頭)までの、「(2節)・・・同じ愛を抱き、心を共にし、一つのことを思い抱きながら、(3節)なにごとをも党派心によってではなく、虚栄心によってでもなく、むしろ謙虚な思いによって互いを自分よりも優れた者と考え、(4節)おのおのが自分自身のこと〔ばかり〕にでなく、むしろ他人のことに[も]それぞれに注目」する、のことと言うことができると思います。

 

あるいは、「このこと」というのは、2章3節と4節に書かれていること、と読むことができると思います。

 

仮に、2章3節と4節に書かれていることだとすると、「このことを・・・思い抱きなさい」(2章5節、上記冒頭)、というのは、「(3節)なにごとをも党派心によってではなく、虚栄心によってでもなく、むしろ謙虚な思いによって互いを自分よりも優れた者と考え、(4節)おのおのが自分自身のこと〔ばかり〕にでなく、むしろ他人のことに[も]それぞれに注目」することを思い抱きなさい、のことになると思います。

 

そして、2章5節(上記冒頭)には、「このことを、すなわちキリスト・イエスにおいても〔妥当すること〕を・・・」、と書かれています。

 

つまり「このこと」、すなわち、2章3節と4節に書かれていること、あるいは、2章2節2行目から4節までに書かれていることは、「キリスト・イエスにおいても〔妥当すること〕」である、ということです。

 

その8、に続きます。