ピリピ人への手紙2章6節について その3

直訳で内容が分からない場合、『解釈』を試みることになります。

 

ここでは、(1)の「神と等しいことを強奪と思わなかった」(その2、前半)、という直訳で『解釈』を試みます。

 

まず、岩波翻訳委員会訳1995のフィリピ人への手紙2章6節は、次のようになっています。
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500206
キリストは神の形のうちにあったが、
神と等しくあることを
固守すべきものとはみなさず、
***

 

岩波翻訳委員会訳1995については、こちらのURLで見ることができます。
http://bbbible.com/bbb/bbbph02.html#phi2.1-11

 

2章6節には、「神と等しくあることを」(2行目)の前に、「キリストは神の形のうちにあったが、」(1行目)とあります。

 

この「キリストは神の形のうちにあったが、」は、「その1」の第4段落で引用されているギリシャ語では、
***
ὃς(ホス) ἐν(エン) μορφῇ(モルフェーィ) θεοῦ(テウー) ὑπάρχων(ヒュパルコーン)
***
に当たります。

 

「ὃς(ホス)」は関係代名詞で、「そして彼は」などの意味になります。

 

「彼」というのは、5節の「キリスト・イエス」のことを指している、と言うことができるので、岩波翻訳委員会訳1995では、「キリストは」と訳されています。

 

忠実に訳すなら、「(そして)彼は」などとなります。

 

「ἐν(エン) μορφῇ(モルフェーィ) θεοῦ(テウー)」でひとまとまりで、前置詞句になります。

 

「ἐν(エン)」が前置詞で、与格を取ります。意味は「において」などです。

 

「μορφῇ(モルフェーィ)」は女性名詞の与格で、意味は「姿」「形」などです。

 

「ἐν(エン)」は、この「μορφῇ(モルフェーィ)」という与格の女性名詞を取っています。

 

「ἐν(エン) μορφῇ(モルフェーィ)」で、「姿において」や「形において」、などとなります。

 

岩波翻訳委員会訳1995では、「形のうちに」に当たります。

 

「θεοῦ(テウー)」は名詞の属格で、意味は「神の」などです。

 

そうすると、「ἐν(エン) μορφῇ(モルフェーィ) θεοῦ
(テウー)」で、「神の姿において」や「神の形において」などとなります。

 

岩波翻訳委員会訳1995では、「神の形のうちに」に当たります。

 

最後に「ὑπάρχων(ヒュパルコーン)」ですが、これは「分詞」で、意味は「ある」「存在する」などです。

 

岩波翻訳委員会訳1995では、「あったが」に当たります。

 

「ὑπάρχων(ヒュパルコーン)」は分詞ですが、分詞にはいろいろな用法があります。

 

フィリピ人への手紙2章6節では、「述語的用法」が用いられていると考えられます。詳しくは『新約聖書 ギリシャ語入門 大貫 隆』の「§310」と「§311」等をご参照ください。

 

また、この分詞は「現在」分詞ですが、分詞の時称については、「§312」をご参照ください。

 

フィリピ人への手紙2章6節の「ὑπάρχων(ヒュパルコーン)」は、分詞の「述語的用法」のうちの「譲歩(~だとしても)」と考えるのがよいと思います。

 

岩波翻訳委員会訳1995は、「譲歩」と考えていると思います。

 

仮に「譲歩(~だとしても)」と考えると、「ὃς(ホス) ἐν(エン) μορφῇ(モルフェーィ) θεοῦ(テウー) ὑπάρχων(ヒュパルコーン)」は、「そして彼は神の姿(または形)において存在したとしても」、というような意味になります。

 

これに(1)をつなげると、
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そして彼は神の姿(または形)において存在したとしても、神と等しいことを強奪と思わなかった
***
となります。

 

その4、に続きます。