「エホヤキム」について その7

新改訳聖書』第3版のエレミヤ書22章3節から5節までに、次のように書かれています。
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3節
はこう仰せられる。公義と正義を行い、かすめられている者を、しいたげる者の手から救い出せ。在留異国人、みなしご、やもめを苦しめたり、いじめたりしてはならない。また罪のない者の血をこの所に流してはならない。
4節
もし、あなたがたがこのことばを忠実に行うなら、ダビデの王座に着いている王たちは、車や馬に乗り、*彼らも、その家来、その民も、この家の門のうちに入ることができよう。

 

* 直訳「彼も」

 

5節
しかし、もしこのことばを聞かなければ、わたしは自分にかけて誓うが、―の御(み)告げ―この家は必ず廃墟となる。』」
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4節に、「もし、あなたがたがこのことばを忠実に行うなら、ダビデの王座に着いている王たちは、車や馬に乗り、*彼らも(直訳、彼も)、その家来、その民も、この家の門のうちに入ることができよう。」とあります。

 

「このことば」というのは、3節の「・・・公義と正義を行い、かすめられている者を、しいたげる者の手から救い出せ。在留異国人、みなしご、やもめを苦しめたり、いじめたりしてはならない。また罪のない者の血をこの所に流してはならない。」ということばのこと、と言うことができると思います。

 

「もし、あなたがたがこのことばを忠実に行うなら」(4節)、とあります。

 

つまり、公義と正義を行い、かすめられている者を、しいたげる者の手から救い出し、在留異国人、みなしご、やもめを苦しめたり、いじめたりせず、罪のない者の血をこの所に流さないなら、ということだと思います。

 

そのように行なうなら、「この家の門のうちに入ることができよう」、という文脈になります。

 

「この家」というのは、「ユダの王の家」(22章1節、「王たち」について その4中ほど)のことと考えられます。「『ユダの王の家』の門のうちに入ることができよう」、となります。

 

「あなたの父」(22章15節、その8冒頭)は、「この家の門のうちに入ることができ」るのではないか、と思われます。

 

その8、に続きます。