「エホヤキム」について その3

新改訳聖書』第3版のエレミヤ書22章18節と19節に、次のように書かれています。
***
18節
それゆえ、ヨシヤの子、ユダの王エホヤキムについて、はこう仰せられる。
  だれも、『ああ、悲しいかな、私の兄弟。
  ああ、悲しいかな、私の姉妹』
  と言って彼をいたまず、
  だれも、『ああ、悲しいかな、主よ。
  ああ、悲しいかな、陛下よ』
  と言って彼をいたまない。
19節
  彼はここからエルサレムの門まで、
  引きずられ、投げやられて、
  ろばが埋められるように埋められる。
***

 

19節に、「彼はここからエルサレムの門まで、引きずられ、投げやられて、ろばが埋められるように埋められる。」とあります。

 

「彼」というのは、「ヨシヤの子、ユダの王エホヤキム」(18節)のこと、と言うことができます。

 

そうすると19節は、「ヨシヤの子、ユダの王エホヤキムはここからエルサレムの門まで、引きずられ、投げやられて、ろばが埋められるように埋められる。」となります。

 

エルサレムの門まで」とあるので、ユダの王エホヤキムが埋められるのは『エルサレム』でのこと、と言うことができると思います。

 

歴代誌 第二36章6節(その2、冒頭)に、バビロンの王ネブカデネザルがエホヤキムをバビロンへ引いて行った、ということが書かれています。

 

エホヤキムはバビロンから帰って来てから、『エルサレムの門』のところで「埋められた」のでしょうか。

 

列王記 第二24章6節(その1、冒頭)には、「エホヤキムは彼の先祖たちとともに眠・・・った」、と書かれています。

 

19節(上記冒頭)最後の行の、「ろばが埋められるように埋められ」た、と言う場合、それは、「先祖たちとともに眠った」と言えるでしょうか。

 

「引きずられ、投げやられて、ろばが埋められるように埋められる」(19節、上記冒頭)、とあります。

 

ユダの王エホヤキムが『エルサレムの門』のところで、「ろばが埋められるように埋められた」とすると、「彼の先祖たちとともに眠った」、とは言えないのではないでしょうか。

 

「彼の先祖たちとともに眠・・・った」(Ⅱ列24:6、その1冒頭)と言う場合、エホヤキムは「彼の先祖たちの墓に入れられた」ということであると思われるのですが、彼の先祖たちの墓に入れられたとは、とうてい考えられません。

 

エルサレムの門』のところで『埋められる』、のです。墓に埋められる、ということではないと思います。

 

その4、に続きます。