「王たち」について その2

新改訳聖書』第3版のエレミヤ書17章19節と20節に、次のように書かれています。
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19節
は私にこう仰せられる。「行って、ユダの王たちが出入りする、この民の子らの門と、エルサレムのすべての門に立ち、
20節
彼らに言え。
 これらの門のうちに入るユダの王たち、ユダ全体、エルサレムの全住民よ。のことばを聞け。
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19節から20節にかけて、「(19節)・・・行って、ユダの王たちが出入りする、この民の子らの門と、エルサレムのすべての門に立ち、(20節)彼らに言え。・・・」とあります。

 

「ユダの『王たち』が出入りする・・・門」(19節)、とあります。

 

ユダの『王たち』は、「この民の子らの門と、エルサレムのすべての門」から入り、それらの門から出る、と言うことができると思います。

 

「ユダの『王』が出入りする」、ではなく、「ユダの『王たち』が出入りする」、と書かれています。

 

「ユダの『王たち』が出入り『した』」、ではありません。

 

「出入り『した』」であれば、理解することはできます。

 

今では死んでいる王であっても、かつては、それらの門から出入り『した』、と言うことができるからです。

 

何人もの王たちが、それらの門から出入り『した』、と言うことはできるのです。

 

19節に、「出入りする」と書かれている、ユダの『王たち』というのは、誰のことでしょうか。

 

19節に書かれていることが列王記の時代のことであれば、例えば、ユダの王ゼデキヤの時代には、王はゼデキヤ一人であり、ゼデキヤ王がそれらの門から入り、それらの門から出る、ということになります。

 

つまり、門から出入りするのは、『王たち』ではなく、ゼデキヤ王一人である、ということです。

 

「ユダの『王たち』が出入りする」、というのは、どのように理解したらよいでしょうか。

 

その3、に続きます。