「王たち」について その3

新改訳聖書』第3版のエレミヤ書17章20節(その2、冒頭)には、2行目から、「これらの門のうちに入るユダの王たち、ユダ全体、エルサレムの全住民よ。のことばを聞け。」とあります。

 

「これらの門」というのは、「この民の子らの門と、エルサレムのすべての門」(19節、その2冒頭)のこと、と言うことができます。

 

「これらの門のうちに入るユダの『王たち』・・・よ。のことばを聞け。」とあります。

 

これらの門のうちに入るユダの『王たち』に向かって、のことばを聞け、と語りかけられています。

 

これらの門のうちに入るユダの『王たち』がそこにいる、ということではないでしょうか。『王』が、ではなく、です。

 

この、これらの門のうちに入るユダの『王たち』というのは、誰のことでしょうか。

 

もしも、列王記の、ユダの王ゼデキヤの時代であれば、が「私」に語られたことばを聞くことができるのは、ユダの王ゼデキヤ一人であって、ユダの『王たち』ではない、と言うことができると思います。

 

ユダの王ゼデキヤ以外の王たちは、死んでいるか、あるいは、エジプトかバビロンへ連れて行かれているか、だからです。

 

「ユダの『王たち』・・・よ。のことばを聞け。」というのは、どのように理解したらよいでしょうか。

 

また、『新改訳聖書』第3版のエレミヤ書17章24節と25節に、次のように書かれています。
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24節
もし、あなたがたが、ほんとうにわたしに聞き従い、―の御(み)告げ―安息日にこの町の門のうちに荷物を持ち込まず、安息日をきよく保ち、この日に何の仕事もしないなら、
25節
ダビデの王座に着く王たちや、車や馬に乗る首長たち、すなわち王たちとその首長たち、ユダの人、エルサレムの住民は、この町の門のうちに入り、この町はとこしえに人の住む所となる。
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25節に、「ダビデの王座に着く『王たち』や、車や馬に乗る首長たち、すなわち『王たち』とその首長たち、ユダの人、エルサレムの住民は、この町の門のうちに入・・・る。」とあります。

 

ダビデの王座に着く『王たち』」が「この町の門のうちに入る」、ということが書かれています。

 

これは、どのように理解したらよいと思われますか。