「暴虐」について その1

新改訳聖書』第3版のエゼキエル書7章11節に、次のように書かれています。
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11節
暴虐はつのって悪の杖となり、彼らも、その群集も、彼らの富もなくなり、彼らのために嘆く者もいなくなる。
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「彼ら」という言葉が三つあります。この11節より前に、「彼ら」という代名詞が指す言葉を見つけることができません。

 

したがって、この「彼ら」が何を指しているのかは、明確には分かりません。

 

考えられるのは、同書7章7節の「この地に住む者・・・」です。同章7節は、次のようになっています。
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7節
この地に住む者よ。あなたの上に終局が来る。その時が来る。その日は近い。しかし、山々での歓声の日ではなく、恐慌の日だ。
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1行目に、「この地に住む者よ。あなたの上に終局が来る。・・・」とあります。

 

「終局が来る」ということは、「いなくなる」(11節、上記冒頭)ということではないか、と思われますが、いかがでしょうか。

 

ただ、「この地に住む者」は、「あなた」という2人称で表されています。「彼ら」という3人称ではありません。

 

そのため、「明確には分かりません」(上記)、ということなのです。

 

「終局が来る」ということが、仮に、「いなくなる」(11節、上記冒頭)ということだとすると、「彼ら」というのは「この地に住む者」のことと考えられます。

 

さしあたり、「彼ら」というのは「この地に住む者」のことを指している、と考えて話を進めます。

 

そうすると、7章11節の、「彼らも、」以降は、「この地に住む者」たちはなくなり、「この地に住む者」たちの富もなくなり、「この地に住む者」たちのために嘆く者もいなくなる、となります。

 

つまり、「富」はなくなり、「人」はいなくなる、ということです。

 

なぜそのようなことになると考えられるでしょうか。

 

「暴虐はつのって悪の杖とな」(11節、上記冒頭)るから、ではないでしょうか。

 

「悪の杖」とあります。「暴虐」が「悪の杖」にたとえられています。

 

『杖』というのは、どのように考えたらよいでしょうか。

 

仮に、王の杖のような杖と考えると、それは、「支配の象徴」と考えることができると思います。

 

仮にそう考えると、7章11節の場合、「暴虐はつのって悪の杖とな」る、は「暴虐が支配する」、というような意味になると考えられます。

 

「暴虐が支配する」ようになるから、「この地に住む者」たちはなくなり、「この地に住む者」たちの富もなくなり、「この地に住む者」たちのために嘆く者もいなくなる、のではないでしょうか。

 

もう少し説明を加えますと、「暴虐が支配する」ようになるから、「今、わたしはただちに、憤りをあなたに注ぎ、あなたへのわたしの怒りを全うする」(7章8節)、そしてその憤りが注がれ、怒りが全うされるので、「この地に住む者」たちはなくなり、「この地に住む者」たちの富もなくなり、「この地に住む者」たちのために嘆く者もいなくなる、ということではないでしょうか。

 

「わたし」というのは、「」(7章1節)、もしくは「神である主」(同章5節)のことです。

 

いかがでしょうか。どのように思われますか。