「よみ」について その2の1

新改訳聖書』第3版のエゼキエル書32章23節に、次のように書かれています。
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32章23節
彼らの墓は穴の奥のほうにあり、その集団はその墓の回りにいる。彼らはみな、刺し殺された者、剣に倒れた者、かつて生ける者の地で恐怖を巻き起こした者たちである。
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1行目から、「彼らの墓は穴の奥のほうにあ・・・る。・・・」とあります。「彼らの墓」が「勇敢な勇士たち」の墓だとすると、「彼らの墓」は『よみ』の中にある、ということになります。

 

21節(その1の1、前半)に、「勇敢な勇士たちは、・・・『よみ』の中から語りかける」、と書かれているからです。

 

また、もしも「彼らの墓」が「勇敢な勇士たち」の墓だとすると、「勇敢な勇士たち」の墓は、「穴の奥のほうにあ」る、ということになります。

 

「彼らの墓は穴の奥のほうにあ・・・る」(23節1行目から)、とあるのですが、「彼らの墓」が「アッシリヤとその全集団」の墓である可能性については、どうでしょうか。

 

その可能性はあるでしょうか。

 

23節1行目から、「彼らの墓は穴の奥のほうにあり、その集団はその墓の回りにいる。・・・」とあります。この場合、「その墓」は「彼らの墓」を指している、と言うことができると思います。

 

「その集団」というのは、「アッシリヤとその全集団」(22節)のことと考えられます。それ以外には考えられないと思います。

 

「彼らの墓」が「アッシリヤとその全集団」の墓であるとすると、「その集団」は「アッシリヤとその全集団」の墓の回りにいる、ということになります。

 

つまり、「アッシリヤとその全集団」は「アッシリヤとその全集団」の墓の回りにいる、ということになります。

 

どのように理解したらよいでしょうか。

 

「アッシリヤとその全集団」は、すでに墓の中に入っていて、その墓の回りに、さらに「アッシリヤとその全集団」がいる、ということになります。

 

「『全』集団」という言葉があるので、アッシリヤの『すべての』者が、すでに墓の中に入っていると言うことができると思います。

 

つまり、それ以外にその墓の回りにいることのできるアッシリヤの者はいない、ということです。

 

したがって、「彼らの墓」が「アッシリヤとその全集団」の墓である可能性は、全く無いか、もしくは、ほぼ無い、と言ってよいと思います。

 

次に、「彼らの墓」が「アッシリヤ」の墓である可能性は、どうでしょうか。

 

「アッシリヤ」は、ビブリア・ヘブライカ・シュツットガルテンシアのヘブライ語では、女性名詞で、単数なので、「彼ら」で受けることはできません。

 

したがって、「彼らの墓」が「アッシリヤ」の墓である可能性は無い、と言うことができます。

 

その2の2、に続きます。