「もみがら」について その3

以上述べてきた書や節の記述と照らし合わせると、ダニエル書2章31節の「・・・一つの大きな像・・・」というのは、「悪者」、もしくは、「悪者と言えるような者」の『象徴』ではないか、という考えが浮かびます。

 

ダニエル書2章34節と35節に、次のように書かれています。
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34節
あなたが見ておられるうちに、一つの石が人手によらずに切り出され、その像の鉄と粘土の足を打ち、これを打ち砕きました。
35節
そのとき、鉄も粘土も青銅も銀も金もみな共に砕けて、夏の麦打ち場のもみがらのようになり、風がそれを吹き払って、あとかたもなくなりました。そして、その像を打った石は大きな山となって全土に満ちました。
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35節1行目から、「・・・鉄も粘土も青銅も銀も金もみな共に砕けて、夏の麦打ち場のもみがらのようになり・・・ました。・・・」とあります。ホセア書13章3節(その2、前半)に、似たようなことが書かれています。

 

「鉄」「粘土」「青銅」「銀」「金」というのは、「一つの大きな像」を構成しているものです。それらが砕けてもみがらのようになった、ということは、「一つの大きな像」が砕けてもみがらのようになった、ということである、と言うことができると思います。

 

つまり、「その1」と「その2」で引用された書や節の記述で、「悪者」、もしくは、「悪者と言えるような者」が「もみがら」にたとえられたり、「もみがらのようになる」と言われたりしていることからすると、ダニエル書2章35節の、「鉄も粘土も青銅も銀も金もみな共に・・・もみがらのようになり・・・ました」というのは、「一つの大きな像」が「悪者」、もしくは、「悪者と言えるような者」の『象徴』だからではないか、と考えられるのです。

 

今のところまだ断定はしませんが、「一つの大きな像」が「悪者」、もしくは、「悪者と言えるような者」の『象徴』である可能性は、あると思います。

 

いかがでしょうか、どのように思われますか。