「ユダ」について その2


新改訳聖書』第3版の列王記 第二25章12節に、次のように書かれています。
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25章12節
しかし、侍従長は国の貧民の一部を残し、ぶどう作りと農夫とにした。
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また、同章22節から24節までに、次のように書かれています。
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22節
バビロンの王ネブカデネザルは、シャファンの子アヒカムの子ゲダルヤを、ユダの地に残った残りの民の上に総督とした。
23節
将校たちと、その部下たちはみな、バビロンの王がゲダルヤを総督としたことを聞いて、ミツパにいるゲダルヤのもとに来た。すなわち、ネタヌヤの子イシュマエル、カレアハの子ヨハナン、ネトファ人タヌフメテの子セラヤ、マアカ人の子ヤアザヌヤ、これらとその部下たちであった。
24節
そこでゲダルヤは彼らとその部下たちに誓って、彼らに言った。「カルデヤ人の家来たちを恐れてはならない。この国に住んで、バビロンの王に仕えなさい。そうすれば、あなたがたはしあわせになる。
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今引用したこれらの節を読むと、「国」または「ユダの地」には、人が残っていた、ということが分かります。しかし、エレミヤ書には、「ユダはことごとく捕らえ移され、ひとり残らず捕らえ移される。」と書かれています。

 

つまり、エレミヤ書に書かれていることと、列王記に書かれていることは、違うときのこと、と考えられるのです。

 

みなさんは、どのように思われますか。